NHKBShi 『龍馬伝』#28 “武市の夢” 18:00〜18:45

大河ドラマ中盤恒例の主要人物の死。『新選組!』で言えば第33回“友の死”です。山南敬助堺雅人切腹です。山南さーーーーん(泣)。もう6年も前の話なのね。いや『新選組!』が(汗)。
山南敬助切腹は元治2年2月23日(1865年3月20日)。『組!』の龍馬(江口洋介)は山南さんから託されました。
武市半平太大森南朋)の切腹は慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)。『龍馬伝』の龍馬(福山雅治)は半平太に託されました。
実際にそんなことがあったかどうかっつったらおそらくなかったでしょう。『龍馬伝』は、後々の展開に絶対に齟齬を来たすに違いない*1創作っぷりに今まで色々言ってきたけど*2今回はもういいです(いいのか)。
託し託され時代は前へ。龍馬の夢は上士も下士もない、山内家も長宗我部も関係ない新しい国。半平太の夢は一生土佐の中。容堂公(近藤正臣)に認められること。何をおいても土佐藩*3、ということでは容堂公と半平太はある意味同志だったのかも。その2人の最後の対面は、哀れという言葉しか浮かんでこなかった。皮肉にもこんな形で夢が叶った半平太。でも彼に後悔はない。残された容堂公はどうなんだろう。維新後の「半平太ゆるせ、半平太ゆるせ」に繋がるか*4
半平太の切腹場面。『竜馬がゆく』から引用。

武士の切腹が「美」にまで高まり、かつその例がもっとも多かったのは戦国時代と幕末であって、徳川中期の泰平の世にはうとんぜられた。扇腹というのがあって、短刀がわりに扇を腹にあてるだけで、背後から介錯人が首を落としてくれた。元禄の赤穂浪士でさえ、切腹の前夜、その仕方を知らず、ひとに教えを乞う者があったという。
が、戦国、幕末といったように時代がたぎり、緊張してくると、男というのは自分が男であることの美を表現そう(あらわそう)とする。この時代数えきれぬほどの武士が切腹したが、ことごとくみごとであった。
(中略)
かれら(介錯人)は背後にいる。四宝が置かれるや礼儀として鞘走る音のたたぬようにそろりと抜きはなち、剣先を天にむけ、八双にかまえた。
「よいか。わしがよしというまでやるな」
武市半平太は短刀をとり、腹をくつろげ、しばらく気魄の充実してくるのを待ったが、やがて左腹の下部にずばりと突きたてた。
声は立てない。
きりきりとそれを右へ一文字に切りまわしいったん刃をひきぬくや、こんどは右腹に突きたてて、
「やっ やっ やっ」
と三呼叫び、みごと三文字に掻き切って突つぶせた。
血しぶきがすさまじく飛び、検使の役人の袴に、びしっとかかったほどである。
まだ息があった。
介錯人島村と小笠原はうなずきあい、左右から心臓部へ突き刺した。武市の姿勢がすでに伏せているので、首を刎ねられなかったのである。
年三十七。

以蔵(佐藤健)には望みとか夢とかはなかったんだろう。あえていうなら、半平太の夢が叶うことが以蔵の夢。あの涙と微笑みは、苦しみからの解放と半平太の夢の成就への喜び。彼にも後悔はない。半平太が大好きだった以蔵。ぼろきれのような姿で処刑場の泥に塗れ首を刎ねられても、彼は幸せだった。と、思いたい。思うしかない。
半平太は富(奥貫薫)や仲間が見送ってくれた。以蔵を見送る人はいたんだろうか。京のなつ(臼田あさ美)に彼の死は届かないんだろう。合掌(涙)。

*1:『組!』はその辺は実に緻密。

*2:それでも『天地人』よりははるかにマシ。

*3:広義での徳川幕府

*4:実際は罪状否認のままの切腹のようで、それが容堂の生涯の十字架になったそうな。