NHKBShi 『龍馬伝』#30 “龍馬の秘策” 18:00〜18:45

なんだか唐突感でいっぱいの今回。いつもか(爆)。
池内蔵太桐谷健太)も唐突に。経歴を考えると一度くらい顔見せしてほしかったな。でも龍馬(福山雅治)達のどんづまりの空気に、さあっと爽やかな風穴が開いたような感じの登場は良かったです。桐谷は内蔵太の雰囲気にぴったり。以下、毎度のことながら『竜馬がゆく』より抜粋。

真黒な顔で眼ばかりぎょろぎょろしていたから、黒の内蔵太とよばれていた。
早くから江戸に遊学していたが、血の気が多く学問をしていられる男ではない。国にもどって武市半平太の勤王同盟に参加したり、京へ出て諸藩の志士とまじわったりしていたが、
土佐藩は因循姑息じゃ」
といって脱藩し、多くの土佐浪士がそうであるように長州藩邸に身を投じた。
その後、内蔵太は長州の遊撃隊参謀になって馬関海峡でフランス軍艦を砲撃したり、かとおもえば天誅組に加わり、その洋銃隊長になり、大和で挙兵し、大和の五条代官所を撃って代官鈴木源内を斬り、事やぶれてたくみに幕吏の目をのがれつつ海路長州に奔った。
長州軍が、大挙して京に侵入した禁門ノ変のときも山崎から堺町御門に侵入した軍に属し、御門で最後の突撃をこころみ、
「みろ、斬りこみとはこうするものだ」
と大剣を頭上にかざし、弾雨のなかを三度突撃して三度ともかすり傷一つ負わなかった。
まったく、歴戦の勤王派志士といっていい。文久三年から元治にかけてのあらゆる騒乱にこの男は頭を出しているのである。
禁門の敗退後、真木和泉以下十七人の浪士が天王山に踏みとどまり、山上で自刃したときも、
「長州は壊滅した。しかし世におれ一人があるかぎり尊皇攘夷はほろびぬぞ」
切腹せずに西国街道をひた走りに走り、神戸村まできて、
「竜馬、たのむ」
ととびこんできた男である。竜馬は内蔵太をかくまい、海軍を習わせた。

竜馬がゆく』では、この後、内蔵太がもう一度どうしても長州へ行きたいと言い、竜馬が止める。こうと決めたら引かない内蔵太だから、結局、竜馬は中島作太郎とともに長州へやるんだけど。長州の内情を探り、高杉晋作奇兵隊幹部と十分な連絡をとり、意見を交換し合うように支持を出してね。いつ頃そうしたのか書いてないけど、前後から想像するとこれが元治元年(1864年)11月頃かな。あくまでも小説の中での話。
ところで『龍馬伝』は現在慶応元年(1865年)のいつ?。次回の西郷(高橋克実)が下関へ来なくて桂(谷原章介)が怒っちゃうのが閏5月21日なので、それのちょっと前と思っとけばいいのか。フィクションが多すぎてわかりにくい(汗)。やっぱ史実あれこれ言っちゃうなあ。薩長同盟は龍馬(福山雅治)の秘策でもなんでもない。龍馬が主人公だから、彼の先見性や周旋の才能を描くための演出としては仕方ないとは思うけど……。諸藩はもちろん薩摩藩にも同盟の構想があって、薩摩の意向により龍馬が動いた、てな感じ。ただ龍馬独自の構想もあったからパシリというわけではありません。
今回の大河は、龍馬と薩摩藩=西郷との関係が信頼ではなく利潤のみで描かれるようだけど、薩長同盟それで成り立つのかな。このまま長崎で亀山社中結成して薩摩行かなかったりして(爆)。薩摩行きがないということは、龍馬が西郷の家に泊まったエピもなし。つまり友情の面は描かないと。あら?そしたらお龍との新婚旅行はどうするんだろ。……ああ、あちこちで整合性が。