耕史君が竹中半兵衛!

まぐさんの前に友ブログで知りました。ありがとうございますー。
戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち
秀吉が最も信頼し恐れた男・黒田官兵衛を高橋克典が演じる!『戦国疾風伝 二人の軍師 秀吉に天下を獲らせた男たち』
超戦国派のオットに言ったら「全然、役のイメージやない」と一蹴。半兵衛も官兵衛も。むーん。半兵衛はさておき、オットは官兵衛ファンなので厳しいっすよ。イメージと言えば西田局長!秀吉再び!。まさか「おかか」は言わないよね(笑)。
耕史君に半兵衛やってほしいとは書いたことないんですけど、なんだか“竹中半兵衛”という文字をこのブログで入力した記憶があったので検索。これこれでした。ま、どうということはないつぶやきです。戦国ではここにあるように清水宗治か別所長治希望。超超超マイナーで言霊パワーが効くわけもなく。もひとつ、『播磨灘物語』繰ってて、そういや堀久太郎つーのが居るじゃないか!。でも前述2名より更にマイナー度高し(汗)。
司馬サンは半兵衛主人公の話は書いてなかったはず。長編戦国モノにちらほらと。『播磨灘物語』が一番出番が多いかな。あとは『新史太閤記』。

竹中半兵衛は、播州姫路において、官兵衛とはじめて会った。
(なるほど、似た者だ)
と、半兵衛が何よりも感じ入ったのは、官兵衛が自分の姫路城を清めて城下の武家屋敷ぐるみ、秀吉に提供してしまったことである。
−利のために武道をおこなうのではない。
ということは半兵衛の信条のようなもので、自分の利を中心に思考をめぐらせばかならず眼識が曇る、武道の面白味はおのれの利や立場を抜いて物事を考えるところにある、と思っているだけに、官兵衛のやり方がいかにもそれに相応していると思った。
(似たような者が、やはり居たのか)
という感動は、半兵衛において大きい。
(中略)
官兵衛のほうも、内心おどろいている。
かれは武道において利己心を除くということでは、半兵衛ほどに徹底して自覚した精神をもっていたわけではない。たとえば姫路城をさっさと空けて秀吉に呉れてやったという放れわざも、官兵衛のもつより大きな構想のためのものにすぎず、その点では半兵衛より俗っ気が多少多いといえるであろう。
もし設問できるとすれば、竹中半兵衛に対し、天下がほしいか、と問いかければ、かれは即座に欲しくないと答えるにちがいない。官兵衛はこの点、違っているであろう。かれはしばらく考えて、なによりも自然にまかせる、自分は稀有な運があり、それが自然にめぐってくるとすれば天下人になってもかまわない、と答えるにちがいなかった。両者の相違は、その程度といっていい。
(中略)
ともあれ、それとは別に、羽柴秀吉はおそろしいばかりに幸運な男といわねばならなかった。この播州平定を目的とする信長の武将は、それまでの歴史のなかで幾人もいない天才的戦術家を、同時に二人もその帷幕において所有したのである。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)より抜粋

この三木城攻めのあるとき、官兵衛と竹中半兵衛のあいだに、挿話がある。
官兵衛は、つねに最前線をうけもち、かれ自身は三日に一度ほど平井山の秀吉の本営に戻ってきて、敵状を報告したり、三人で相談して作戦のたて直しをやったりした。
この話は、兵の強さにおいては三木方が織田方より優っており、城方から出戦してくると、攻囲方はそのつど斬り崩された。
「あの人数は、敵か味方か」
と、秀吉は遠くを指さした。
その場所は、三木城の山つづきの高地が野にむかって傾斜しているあたりで、戦陣の呼称として「尾崎」とよばれていた。その尾崎に、城方の斬込隊が出てきては、攻囲陣をしばしば痛打する。
この日、そこへ五百人ほどの人数が出ているのである。それが、やがて藪かげに消えた。
秀吉が敵か味方かときいたのは、その人数のことである。傍らの竹中半兵衛が、
「お味方でござる。官兵衛尉でござろう。伏兵を埋ずめているにちがいなく、今日の御合戦は勝利に相違ござりませぬ」
と、いった。
むろん竹中半兵衛の目に官兵衛の姿が見えたのではなく、尾崎を戦術的に要地とみてそこに人数を出すという感覚は、自分か官兵衛以外に持っていない、と半兵衛は思ったのである。官兵衛が人数を出す以上、伏兵であろう、その必要を自分も考えていた、官兵衛も符牒を合わすように考えていたにちがいない、と竹中半兵衛はとっさにおもい、秀吉にそう答えた。
「……官兵衛か」
秀吉はつぶやき、官兵衛ならたいていの事を当方まで言いにくるはずだが、というと、竹中半兵衛は、
「おそらく今日はその暇が無かったに相違ありますまい」とこたえた。
竹中半兵衛はさらに官兵衛の作戦をつぎのように推測した。まず軽兵を出して敵に小当たりにあたらせ、しかるのちに逃げる。敵がそのあとを追うであろう。そのとき官兵衛は伏兵を起して敵のあとを追う。となると、敵は逃げ、この秀吉本営の平井山のふもとまで到るにちがいない、と見た。ところで、このふもとまで足を伸ばしてきた敵を討つには、もう一段、伏兵を埋めておかなければならない。
半兵衛は、その手筈を整えた。
はたして、推移はそのようになった。もともと戦略で勝ちつつ戦闘で負け気味だった織田勢は、この日、めずらしく痛烈な勝ちを得た。
「双方、話もせずに互いにそれだけの内容(こと)がわかるのか」
と、秀吉は後刻、両人をみて笑ったが、表情に苦味が走った。嫉妬を覚えたのであろう。

司馬遼太郎播磨灘物語』中(講談社)より抜粋

司馬サンが描いた2人はこんな感じ。もっと載せたいけど疲れた(爆)。
テレビの方はどうなんでしょうね。原作は読みません。プライオリティ考えると読むには値せず。偉そうでごめん。