NHKBShi 『龍馬伝』#35 “薩長同盟ぜよ” 18:00〜18:45

ものすごく色々書きたいことがある。が時間がないのでひとつだけ。
新選組屯所の前に立番がひとりもいないとはこれ如何に(そこかい)。
いやその前に弥太郎(香川照之)はれっきとした土佐藩士だし、見廻組と新選組の関係もこの時期にはあんなじゃないし、薩長同盟前に両者間でもうひと悶着あったし、龍馬(福山雅治)は京に入る前に大坂で幕臣大久保一翁に会ってるし……あああダメダメダメダメ。脳内に次から次へと突っ込み処がわきわき。そういうときは必殺引用でお茶濁し。

竜馬が兵庫に潜入した慶応二年正月、時勢は勤王派にとって最悪の段階にあった。
将軍家茂は大坂城にある。
大坂城大本営とし、第二次長州征伐の戦備をととのえる一方、天下の親長州分子の弾圧をすすめつつある。
諸藩もそういう幕府の強硬政策に同調し、藩内の勤王分子を殺し続けていた。竜馬の母藩の土佐藩だけでなく、安政以来多くの勤王家を出した肥後熊本藩筑前福岡藩も、さんたんたるものになっていた。
筑前福岡藩(黒田家)などは、幕府の第二次長州征伐発令とともに藩内に政変がおこり、佐幕派が政権を回復し、つぎつぎに勤王家をころしつつある。
殺戮はさいしょ、おだやかなかたちをとった。筑前で知られた志士筑紫衛は、ついに脱藩を決意し、夜陰、城下を走りぬけて那珂川の渡し場まできた。ところが翌日、大小衣服を首にくくりつけたまま溺死体となって発見された。
それにふんがいした藩内勤王派の首領月形洗蔵は、クーデターを決意し、同志の合同をもとめた。この密計が藩庁に漏れ、同志一同がことごとく囚われの身になった。
このため、切腹を命ぜられた者は加藤司書以下六人。
打首は、月形洗蔵以下二十四人。
この福岡城下の大量死刑は、三日間にわたっておこなわれ、五十二万石の藩内でひとりの勤王家もいなくなった。
時勢は暗澹としている。
わずかに回天の可能性は、いまから幕府の武力制圧をうけようとしている長州藩、それに局外中立の立場を守る薩摩藩だけにのこされているが、その両藩も、一藩ずつ孤立していてはなにもできない。
それを連合させようとしている竜馬ひとりの肩に、維新回転の可能性のすべてがかかっているといっていい。

司馬遼太郎竜馬がゆく』4巻“怒濤篇”(文藝春秋)より抜粋

こんな緊迫感の中で、お龍(真木よう子)にぺらぺらしゃべっちゃねえ。なぜそういう脚本にしたのかはわかりますけどね。危険を顧みず、薩摩藩邸から吉井幸輔(及川いぞう)を引っ張ってくるというお龍の行動力を見せたかったんでしょう。次回の寺田屋遭難でのお龍の活躍のイントロというか……つーか別にそんなことせんでも。
弥太郎とお龍の比重が大きくて、薩長同盟がおまけになってしまった感じの回でした。サブタイが泣いちょるぜよ。
新選組の描かれ方はさておき泰造の近藤勇、やっぱ良いです。