NHK総合 『龍馬伝』#41 “さらば高杉晋作” 20:00〜20:45

録画済。


今まで色々書いてきたけど、史実どおりに描いてほしいとは一言も言ってないのよ。辻褄が合えば、整合性があれば、創作と史実がかみ合っていれば、どんな創作だってかまやしませんて。近年は、史実の研究が進み解釈が多岐にわたって、説の選択肢が増えて、どれを用いるかなかなか難しいところだと思うけど、そこから納得できる事項を選び取り、自らの創作と併せて納得できる脚本を作り出すのが脚本家の仕事でしょう。ジェームス三木もそうしました。三谷幸喜もそうしました。司馬サンは、それが史実だと思わせるほどの説得力の創作を生み出しました。
そう、説得力がないんです今回。第三部までは、龍馬がまだ歴史の片隅にいた時期ですし、半平太・以蔵でなんとか誤魔化してきたけど、第四部の維新の立役者となる龍馬はそうはいかない。この大河の龍馬の立ち位置と史実のズレがモロに出てしまって、龍馬が何を言ってもうそ臭く聞こえてしまう。明らかに脚本家の力不足。あるいは努力不足。長州びいきならびいきでいいですから、長州びいきなりの納得できるビジョンを見せてほしかった。
今回の脚本家と前述のお三方を比較するのは、お三方に大変失礼にあたるのを承知で名前を挙げさせていただきました。
ちなみに龍馬は不戦平和論者ではないですし、高杉は大政奉還の理解者ではありません。

高杉の生前、竜馬が長州の連中と下関の酒亭で酒をのんだとき、たまたま、
「世が平いだあと、どう暮らす」
という話題になった。席には、桂小五郎井上聞多らがおり、はるか下座に伊藤俊輔、山県狂介らがいた。みな維新政府の顕官になり華族に列した連中である。
「おれかね」
竜馬は、即座にいった。
「両刀を脱し、さっさと日本を逃げて、船を乗りまわして暮らすさ」
「おれはなにをしよう」
高杉はくびをかしげたが、竜馬はすかさず、
「君は俗謡でもつくって暮らせ」
と、いった。
そのあと、竜馬が三味線をひき、高杉が自作の俗謡をうたって騒いだ。
(うまいものだ)
と、そのころから竜馬は、高杉の俗謡づくりの才に感嘆していた。酒間でうたう人情唄ながら、どの文句にも高杉の精神の格調が鏘然とひびいているようで、たまらなくいい。
「思いだしたときが供養だというから、今夜は高杉の唄でもうたってやろう」
と、竜馬はおりょうに命じ、三味線を出させた。
「夜が更けているから、そっと鳴らせ」
竜馬はおりょうの膝をひきよせ、それを枕にごろりと横になった。唄でもうたいながら風雲収拾の思案でもしようと思ったのである。
「三千世界、をやるか」
と竜馬は言った。
三千世界の烏を殺し
主と朝寝がしてみたい

司馬遼太郎竜馬がゆく』5巻“回天篇”(文藝春秋)より抜粋

高杉晋作に合掌。