NHKBSプレミアム 『坂の上の雲』#10 “旅順総攻撃” 18:00〜19:30

「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」
一年間待ちわびました。このわくわくするオープニングを待っておりました。ここ3年の大河凶作時代(爆)、毎年末にその不出来をを払拭するかのごとくの『坂の上の雲』でございます(苦笑)。まあSP大河のために3作の大河の予算が減らされて云々というご意見もありますが、脚本が悪いんだから予算関係ないっしょ。
わくわくと言ったものの、画面では日本兵の累々たる屍が……。

−敵は機関砲(銃)のようなものをもっている。
ということが、日本軍の将兵のひとしくもった驚異であった。日本歩兵は、機関銃を知らなかった。
火器についての認識が、先天的ににぶい日本陸軍の体質が、ここにも露呈している。
機関砲については、日本人が知らなかったはずはなかった。幕末、越後長岡藩の家老河井継之助が横浜でこれを買うために江戸藩邸の美術品を売りはらって金をつくり、二挺買った。その威力が、この藩が会津藩とともに佐幕派の孤塁となって官軍と戦ったとき、すさまじく発揮された。長岡市街における最後の戦闘では継之助みずからが城門わきでこれを操作し、官軍を薙射してしばらく近づけなかった。そのときの官軍指揮官が、狂介といったころの山県有朋であり、この兵器のために大いに痛いめにあわされたことをおもえば、陸軍の大元帥になったときそれに注目すべきだが、しなかった。
この河井継之助の機関銃と、いま南山で火を噴きつづけているロシア軍の機関銃とは、構造は基本的にちがっている。
ところがそのロシア軍のそれと同構造の機関銃が、日本軍にもあるということを、日本軍の将校のほとんどが知らなかった。
秋山騎兵旅団がもっていた。好古は日清戦争のころから騎兵が火砲もしくは機関銃をもつことをしばしば上申していたが、それがようやくとりあげられ、この日露戦争勃発直前にこの兵器が輸入された。さっそく騎兵第一旅団に機関砲隊が設けられた。

司馬遼太郎坂の上の雲』3巻(文藝春秋)より抜粋

司馬さんは乃木を無能と評してますけど、乃木の最大の不幸は、上司に山県有朋、部下に伊地知幸介がいたことだとのフォロー(?)もあり。

陸軍には、海軍の山本権兵衛に相当するようなすぐれたオーナーがいなかった。
(中略)
地位と権力からいえば山県有朋がそうあるべきだったが、この権力好きな、そしてなによりも人事いじりに情熱的で、骨のずいからの保守主義であったこの人物の頭脳に、あたらしい陸軍像などという構想がうかぶはずがなかった。
(中略)
山県は玄人はだしに短歌と造園がうまかったが、しかし新機軸をなすというような種類の才能ではなく、すべて保守的であった。そういう人物が、
「陸軍の法王」
とよばれていたのである。

司馬遼太郎坂の上の雲』3巻(文藝春秋)より抜粋

のちの元老・山県有朋をけちょんけちょん。伊地知は言わずもがな。でも、後の昭和の日本陸軍の性質の素になった人物だという説をとるならば、学徒出陣を経験した司馬さんは書きたくもなるでしょう。