- 作者: 斉藤国治
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/10/20
- メディア: 新書
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昔のひとは、金環食はまだしも皆既日食で昼間に真っ暗になったらそれこそ世の終わりと思ったことでしょう。もっとも、安倍清明の頃には、日食月食等は歴算でおおよその予測ができてたので、もう天変とはみなさなかったようです。
天文の現象は、陰陽寮の記録以外に『玉葉』や『明月記』や『愚管記』等の当時の上級貴族の日記にも記述がいっぱい。『台記』にもあるんでしょうね。陰陽道にぞっこんな頼長のことだから書いてないわけがないと思うんだけども。更にぞっこんな漢籍にも山ほど天文関係の記述があるしね。
6月6日は金星の太陽面通過。本書にも明治7年の金星過日について記述があります。
明治6年(1873年)6月30日、当時駐日アメリカ合衆国公使あったC・E・デロングから明治政府外務少輔上野景範あてに、つぎのような一通の公文書が差し出された。
甲号 別紙第一号 合衆国国務卿代理より本日落手いたし候書翰の写し閣下へ差出し候。右は金星の日輪を経過するを経験するため、観台を横浜および長崎の近傍に設立すべき許可を得るため。かつ入用の器械その他緊要の物品は無税に手陸上げ致したき候旨申述べ候ものに御座候間、閣下ご尽力、右同様相達し候よう御所置下されたく相願い候。敬具
(中略)
つまり、アメリカの天文家が来日して、日本国内で金星の太陽面経過の観測をする計画だから諸事よろしくたのむというのである。これを受けた当時の日本政府の要人は、外国から千里の波濤をこえて来日して金星観測をするというその意図をはかりかね、あるいは土地や沿岸の測量をする気かととりちがえて神経をとがらせる一幕もあった。開国して日も浅いわが国にとって、これは科学における「黒船」とも称すべき事件であった。
事のおこりは地球と太陽との距離をはかろうという浮世ばなれした話なのである。