録画済。
今、時専で大河『徳川家康』やってまして、ダビング編集で役所さんの信長観てしまって、江口洋介の信長が霞のようです。ごめんよあんちゃん。
「黒田どのは牢籠の境涯から出られた。備前からこの播州に流れついたときには、その日の暮らしにもこまるほどで、ご家来衆は一人もおらなかった」
ということも、姫路のあたりでは常識になっていた。
さらに、官兵衛の祖父の重隆、父の兵庫助およびその家族の言動がいかにも気品があり、土地の者にも優しかったため、たれもがその後の異数の出頭を嫉む者はない。
むしろ姫路村とその近在の百姓どもが、姫路の城代であるこの家を盛りたて、足軽奉公などもよろこんでするようになった。
官兵衛の祖父重隆は、官兵衛の十九歳のときに病没したが、このときの葬列が野をゆくとき、付近の百姓家の男女が千人ほどもあつまってきて葬列がひたひたとすすむ野道のはたにうずくまり、泣きながらその死を送った。たれもが重隆から声をかけられたか、借銭を勘弁してもらったか、何らかの縁のあるひとびとであった。
この時代、百姓からこれほど敬愛された領主はめずらしいかもしれない。