NHKBSプレミアム 『軍師官兵衛』#13 “小寺はまだか” 18:00〜18:45

録画済。


この大河では半兵衛(谷原章介)が官兵衛(岡田准一)を導いて、そして託すわけですね。
次回の上月城攻めが天正5年(1577年)11月末〜12月初め。官兵衛が有岡城に幽閉されるのが天正6年(1578年)10月。半兵衛に残された時間は、わずか……。
播磨灘物語』ではしょっぱなからソウルメイトな感じです。

竹中半兵衛は、播州姫路において、官兵衛とはじめて会った。
(なるほど、似た者だ)
と、半兵衛が何よりも感じ入ったのは、官兵衛が自分の姫路城を清めて城下の武家屋敷ぐるみ、秀吉に提供してしまったことである。
−利のために武道をおこなうのではない。
ということは半兵衛の信条のようなもので、自分の利を中心に思考をめぐらせばかならず眼識が曇る、武道の面白味はおのれの利や立場を抜いて物事を考えるところにある、と思っているだけに、官兵衛のやり方がいかにもそれに相応していると思った。
(似たような者が、やはり居たのか)
という感動は、半兵衛において大きい。
(中略)
ここで同好の者を見出したということは、美酒が臓腑にしみわたるようなよろこびにひとしい。というより、おなじ道において俱に酔える相手を見出したということであり、さらに平たくいえば、はじめて友人をもつことができたということであろう。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“半兵衛”より抜粋

藤兵衛(片岡鶴太郎)の心情は、彼の立場から見れば当然と言えば当然か(苦笑)。

官兵衛は気負いこんでいた。秀吉の播州入りをもって主家小寺氏はあたらしい天下の構成分子になりえた、とおもった。(中略)官兵衛自身、これをもって播州も主家も自分も冒険の航海に乗りだすことになるとは覚悟していたが、かれにとってこの冒険が右の三者にとって唯一の道であると信じて疑わない。
が、御着城主小寺藤兵衛にすれば、理屈の上では官兵衛の言うところの構想が理解できる。(中略)しかしいよいよ新事態を迎えてみると、官兵衛の存在が播州の一角で奏ではじめているリズムと自分の音階とが、微妙に適っていないことに気付いた。
(中略)
「姫路」
と、御着の小寺家では宗円入道と、若い当主の官兵衛のことを、そのように通称している。
(姫路の心を疑うわけにはいかない)
藤兵衛は、そのことはわかる。黒田氏は代々誠実な当主がつづいた。いまの隠居の宗円にいたっては唐土の書物に書かれている君子とはこのような男かと思えるほどに聡明できまじめで信義にあつく、御着の小寺氏のことを思う心が深かった。若い官兵衛にしてもそうである。藤兵衛は官兵衛が子供であったころから知っている。
(いい奴ではあるが。……すこしやり過ぎることをのぞいては、あれは忠義者といわねばなるまい)
だからこそ藤兵衛は体の中を渦巻いているこのえたいの知れぬ感情の排け口がなく、戸惑っている。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“播州騒然”より抜粋

村重(田中哲司)の動揺。『絵本太閤記』の米売り以外に、落書の〔荒き弓〜〕とか『陰徳太平記』のなますの件とかは描かれないかな。