TBSテレビ 『オトナの!』 中村獅童/服部隆之/山本耕史 中編


名古屋じゃやってませんのてYoutubeにて再び。前後編と思ったたら中編とな。
カウンターカルチャーか。さすがいとうせいこう
体制側のアカデミックなメインカルチャー(主流)=ハイカルチャーに対する、大衆のカウンターカルチャー。反体制です。傾き(かぶき→歌舞伎*1)です。それこそレジスタンスです。枝分かれ的な傍流ではなく、亜流ですよ。マイノリティー。質のことではなく、上位に対する気合という意味で。傍流はどこまでいっても傍流でしかない。傍流に破壊からの再構築なんてスピリットはないでしょう?。と、私は思うのです。
亜流にはオルタナティブという言い方もありますな。オルタナティブロックは80年代メジャーに対するカウンターカルチャーでした。現在はもうメジャーというか主流になって形骸化してますけど。サブカル、大雑把にいうとオタク文化もカウンターであったはずなのに、東大大学院の“コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム”に角川歴彦鈴木敏夫大友克洋押井守井上雄彦が参加して、ある程度の社会的地位を得た時に、終わったなと(爆)。岡田斗司夫せいやな。わかるひとにはわかる。
いやまあとにかく、カウンターカルチャーの気運が希薄なこのご時世、耕史君は貴重なマイノリティー気質のひとです。
「亜流がやがて主流になる瞬間を描いた作品なんじゃないかな」
「主流と亜流って常に行ったり来たりしていて、それが歴史を作っているんですよね」
(『メンフィス』eプラインタより)
ヒューイが耕史君なのは必然だったんでしょう。
服部先生の「締め切りは質の高い妥協」は至言ですわ。
作曲等の芸術的創造だけでなく、フツーに仕事しててもあるもんね。
今のピアノの手の形って、卵型じゃないんだ(驚)。2年しかピアノやってないけど、服部先生に同じくあの日々はなんだったんだ(怒)。

*1:歌舞伎は今でこそハイカルみたいになっちゃってるけど、元々大衆芸能。ハイカルの能・狂言に対してのカウンターカルチャーだったんです。