『メンフィス』@赤坂ACTシアター(17:30〜) 1F-V-2

脚本・作詞:ジョー・ディピエトロ/音楽・作詞:デヴィッド・ブライアン
翻訳・訳詞:吉川徹/演出:エドイスカンダル/演出・振付:ジェフリー・ページ/音楽監督前嶋康明
出演:山本耕史濱田めぐみ/ジェロ/JAY’ED/吉原光夫/原康義根岸季衣/石井雅登/大塚俊/さけもとあきら/高橋卓爾/遠山大輔/遠山裕介/原慎一郎/水野栄治/秋山エリサ飯野めぐみ/今枝珠美/小島亜莉沙/増田朱紀/森加織

実は仕事の都合で東京千秋楽が行けなくなり、急遽、会社が休みの2/7のマチネチケをぴあで取りまして、友に相談したら絶対ソワレも観ろと言われチケ追加した次第。てなわけで2階席だったり1階後方席だったり。でも追加して良かったです。福岡オーラスが楽しみです。
翻訳物って、日本人がやるとだいたいがウィリアムやエミリー(例としてね)が太郎や花子さんなんですよ。演技の上手下手の問題以前に、台詞回しや動きが欧米人のそれではなく日本人。体型も(暴言)。だから翻訳物が翻訳物になってない。舞台を日本に置き換えた方がいいんじゃないかと思うくらいにね。今回は全くそれがない。演出が本家ということもあるんだろうけど、身振り手振りはともかく、台詞に関しては日本語だから本家ではあそこまで作り込めないでしょう?。吹替えの洋画を観てるようでした。吹替えの倒置法を多用した台詞に、欧米人的なオーバーアクションと無駄な動きと。それを成すには台詞回しの巧さとともに、身体能力も必要。いつものことだけど耕史君はどれも見事にクリアしてて素晴らし。もちろん濱田さんも。ちゃんと黒人のDivaだった。さすが四季のスターは違うやね。あ、そうそう。上で「体型も」と言いました。耕史君はホントに手脚が長くて逆三角で色白でと、その辺の欧米人より欧米人らしくて翻訳物の申し子のようです。でも時代劇でもハマるという希少生物です。愛いヤツ。
もひとつ、歌唱の技術的なことを。ロックの楽曲を、日本人が日本語で歌うことの難しさ。耕史君はこれもあっさりクリア。周知の通り、日本語は全てが母音で終わるから、ロックのタテノリの中では間延びしてしまって、リズムが出しにくいんです。日本のロックミュージシャンは結構それで苦労してたの。それを打破したのが耕史君が愛するBOØWY氷室京介。彼の子音を強調した独特の歌唱は、その後の日本語ロックに多大な影響を与えたと思います。てなわけで、耕史君が子音を強調して歌えるのはあったり前なのよん。日本人が作ったロックはもとより、英語圏の人間が作ったロックだって無問題。歌詞がタテノリビートの周囲に纏わりつくことなく、ビートの真上のにぽんぽんと乗っけていけるんです耕史君は。ただ、それには訳詞が良いことが条件なんですけども、そこは吉川さんですから。まあとにかく、日本でロックミュージカルやりたかったら、子音で歌えと。
英語は子音と母音が独立してて、唇とか舌とかをはっきり動かさないと発音できません。日本語は口をそれほど開けずに、子音を強調しなくても発音できる言語。普段の会話ならなんの問題もないんだけど、舞台にしろ映像にしろ、言葉を商売道具にしてる場合はそういうわけにはいかんでしょ。滑舌が悪くて台詞がわかりにくいのは、言葉の頭にくる子音をきちんと発音が出来てないからなんですよね。耕史君の台詞が非常に聞き取りやすいのは、歌唱と同様に、台詞も子音を大事にしてるから。母音を疎かにしてるんじゃないのよ。それじゃ四季全否定だし(爆)。言葉の明瞭さというのは、ほとんどが唇か舌先で創造される子音の明瞭さにかかってくるんです。だからヒューイの超早口DJ台詞も私たちにはちゃんと聞こえる。そのせいもあるのか、耕史君は歌から台詞、台詞から歌への移行が非常に滑らか。「はい、歌いまーす」「はい、喋りまーす」つー間がない。たまに境目がわかんない時があるわ(笑)。ブレスいつしてんねん。
今回、耕史君のハイスペックホルダーっぷりのことしが書いてませんけど、今まで観てきた耕史君の舞台の中では、とみに彼の卓越した技巧が目立った作品だと思ったもんで。もともとの才能の上に、努力と経験がミルフィーユ状態で積み重なってきた結果だというのは周知の上で、何だか書いてみたかったのよ(苦笑)。演技力はもう今更言及するのもあほらしいくらいやね。役の本質をつかむのも同様。ああ、これって台本まるっとさっさと頭ん中に入れるから、ひとよりいち早く役に近づけるし、役を掘り下げる時間もあるからだよね。
耕史君は、台本の中に書かれてることだけじゃなく、描かれてない背景や、台本の前後も考えてると思う。役の過去を回顧し、役の未来を想像する。その場しのぎじゃない人物を作り上げる。だから耕史君の演じる人物は架空実在悪人善人に関わらず、その役そのものになる。あ、勘三郎さんの記事で似たようなのあったなあ。

勘三郎との最初の出会いは四十四年前、勘九郎時代、それもまだ十四歳の時であった。昭和四十四年九月、国立劇場で私の補綴・演出による『蔦紅葉宇都谷峠』。按摩の文弥と悪党の提婆の仁三が父の先代勘三郎、お主のために文弥を殺す十兵衛が先代幸四郎(のちの白鸚)。
このふたりはライバル同士のうえ、当時長いこと東宝に行っていた幸四郎との八年ぶりの共演となったために、火の出るような迫力の舞台だった。しかも初演以来百十三年ぶりの通し上演で、ずっと出たことのない文弥内の場も復活した。これは文弥の姉が弟の出世のため吉原へ身売りをするという大事な場だが、ここで文弥の妹のおいちという役を勘九郎がやったのである。
その舞台稽古の間に、客席で見ている私のところにすっと勘九郎がやってきて、「先生、この僕の役は、あとどうなっちゃうんですか」と質問した。私はちょっとハッとした。実はこの作品のなかでは、この役がどうなったかは書かれていないのだ。そう答えたが、しかしこの子はこの場のセリフやしぐさをただ演じるだけではなくて、この人物の“人生”というものを考えているんだということを、感じ取った。そして、これはただ者ではないと……。これがこの天性の役者についての第一印象であった。はたしてその後の活躍は誰もが知ってるとおり。

『演劇界』2013年3月号 “かぶき曼陀羅 67” 勘三郎との時間 河竹登志夫 より抜粋

まあ、全然纏まってませんが、結論的にはいつものごとく、耕史君は天性の役者っつーことで(爆)。