NHKBSプレミアム 『真田丸』#15 “秀吉” 18:00〜18:45

録画済。


あかん、最後のナレで泣いたわ。
豊臣家クラスタでもなんでもないけど、泣くわ。

【第一話 殺生関白】
やがて処刑は終了し、かねて河原の一隅に掘られていた穴のなかに、それらの死骸は秀次の首もろとも投げ込まれた。土が覆われ、塚の上に、石塔が置きすえられた。
秀次悪逆塚
と、その碑面には刻まれている。
孫七郎秀次の実父三好武蔵守一路は所領と位官をとりあげられ、もとの平人におとされて、讃岐へながされた。
「なんのことだ」
この弥助は、讃岐の配所でわが食い扶持を耕しつつ、日に何度もつぶやいた。なんのことだか、この実父もまた自分の一生の正体が理解できなかったにちがいない。
【第二話 金吾中納言
その後、秀秋は日夜、狂態を演じ、淫佚はななだしく、少量の酒に酔うとすぐ「関ヶ原の第一等の戦功はおれである」と侍女たちをあつめて剣をぬき、合戦のまねをした。補佐の老臣たちもその凶暴をおそれ、おもだつ者はほとんどその生前に四散した。やがて脳を病み、関ヶ原から二年目の慶長七年九月、岡山城で病没している。
「亡くなったか」
京の高台院は、この甥の訃報をきいたときそうつぶやいた。戒名もきかず、それだけであった。彼女が作ったこの養子は、豊臣家をつぶすだけの役目を、この世ではたした。
【第四話 北ノ政所】
江戸期の儒者が、
「豊臣家をほろぼすにいたったのは、北ノ政所の才気である」
という意味のことをいったが、多少陰影がちがっている。彼女は、秀吉とともに豊臣家という作品をつくり、秀吉の死とともにみずから刃物をぬいてその根を断ち切った。他人に渡さぬ、という胆気に似たようなものがにおい出ている。
彼女の晩年は風月を楽しみ、その影響下の諸大名の敬慕をうけつつ、悠々とした歳月をおくった。自分の行動についての悔恨といったようなにおいが、どうもみられない。
【第五話 大和大納言】
葬儀はそれから六日後、郡山城でおこなわれた。公卿や諸大名がおびただしくあつまり、死をきいてむらがりあつまってきた庶人の人数だけで二十万人といわれた。参列した諸大名のたれもが、この大納言の死で、豊臣家にさしづづけていた陽ざしが、急にひえびえとしはじめたようにおもった。事実、この日から九年後、関ヶ原の前夜にこの家中が分裂したとき、大坂城の古い者たちは、
−かの卿が生きておわせば。
と、ほとんど繰りごとのようにささやきあった。
【第六話 駿河御前】
家康上洛中の二十五日間、大政所と旭姫は岡崎城内の殿舎でともに暮らしたが(中略)本多重次のごときは大政所の殿舎のまわりに山のように柴薪を積みあげ士卒に昼夜見まわらせ、上方で家康が殺されたという報をきけばただちに火をつけて母娘もろとも焼き殺しにする態勢をとった。
−そもじはまあ、このような家の北の方になりやったのか。
と、大政所もおどろき、この末娘の不幸を、極彩色の地獄絵で見せつけられたようなおもいがし、二十五日のあいだ、母娘ともに泣きくらした。この岡崎から八里の西方に、彼女らが生い育って暮らしていた尾張中村の在所がある。その地で送った貧農のころの日々のほうがどれほど楽しかったかということを、こもごも飽きもせずに語りかわしたことであろう。
【第九話 淀殿・その子】
秀頼には辞世もない。辞世だけでなく、かれの人柄や心懐を推しはかるべきなにものもその二十三年の生涯のうちに残さなかった。秀頼は影のように生き、死んだ。その死も、おそらく他の者が手を執り、力を加え、是非もなしに無理やり死にいたらしめたものに違いない。その光景は無残ではあるが、詩にも歌にもならぬ無残さであろう。
このようにしてこの家はほろんだ。このように観じ去ってみれば、豊臣家の栄華は、秀吉という天才が生んだひとひらの幻影のようであったとすら思える。

司馬遼太郎『豊臣家の人々』(角川文庫)より抜粋

あの一族団欒の場に、秀吉の妹・旭とまだ生まれていない秀頼はいませんでしたが。秀次の弟・秀勝も。思えば秀勝と江の子が九条家に嫁いで、微かにその血が今の皇室に残っているって歴史の妙だ。更に浅井・織田の血も入ってるし。
一話で秀吉(小日向文世)の強烈な光と闇を見事に描ききった三谷さん。言葉がないわ。
秀吉は三成(山本耕史)から逃げてきたのか。
「またやられた」
ここにも上司の「また」「いつもの」に悩まされる超有能優秀な官僚がひとり(苦笑)。
前回ソッコーで三成を出来るヤツ認定した兼続(村上新悟)が謎だったんだけど、短いやり取りの中で「このひとなかまだ」とでも判断したんでしょうかね。

景勝は、糸魚川に軍団を置き、みずからは兼続ら十二騎を従えて越水の秀吉の旅館をたずねた。
(中略)
ここで秀吉と景勝は、家来どもをしりぞけ四時間にわたって密談し、ふたりの盟約が成立した。この密談の席に、秀吉がわは三成、景勝がわは直江兼続のみが陪席した。三成と直江兼続の交友はこのときから出発している。たがいに二十六歳であった。偶然同年であったということも、かれらの交情をふかくさせた。
(中略)
三成とは、はなしも合った。どちらも当時の武士にはみられぬ読書家で、それも文学などはあまり好まない。儒教のいう治国平天下の道に興味をもっている点、期せずしておなじであった。もうひとつ共通しているところがある。ふたりともそれぞれ、謙信、秀吉という英雄のそばに身近につかえ、それを惚れぬくほどに敬慕している点であった。直江兼続は謙信について語り、三成は秀吉について語った。自然、話題のつきるところがなかった。
最初に会ったこの天正十三年の春、ふたりは若くもあったから夜ふけまで語り、ついに夜の白むのに気づいておどろき、三成は、「三日もこのようにして貴殿と語りあいたい」というと兼続もうなずき、「それがしも二十六歳になってはじめて友を得たごとき心地がいたす」といった。

司馬遼太郎関ヶ原』(新潮社)“密約”より抜粋

司馬さんは、俗説の越水(落水)の会見を取り入れて、上杉主従上洛の1年前に、三成と兼続を会わせております。『天地人』では確かやってたよね。
もうひとりの「また」にも手を焼く三成。彼は冷徹ではないのよ(爆)。あんな上司の下にいたら、どっかでライン引かないとやっとれんて。
ツイより。

https://twitter.com/lynn_halon/status/722756519339511808
大谷に言われて、謝りに来た加藤清正の対応をする三成。(なんか清正さんて、謝りに来たのに更に三成を怒らせそうなイメージがあります) #真田丸 #丸絵

カワイイ。どっちも。

  • 刑部(片岡愛之助)登場ーーー♡♡♡。だいたい頭巾被っちゃってるから新鮮。あれはもう少し後だもんね。
  • 大政所(山田昌)様登場ーーー。昌さん、大河初出演おめでとうございます。
  • 千利休桂文枝)登場ーーー。悪くない、というか良いと思います。
  • 検地のなんやかんやを実際にやるのって珍しくない?。だいたいナレ終了。
  • 父上(草刈正雄)と母上(高畑淳子)はわかってるよ源三郎(大泉洋)。
  • きりちゃんが全然ウザくないぞ。魑魅魍魎蠢くどでかい大坂城の伏魔殿では、きりちゃんのウザさか癒しになる(爆)。