NHKBSプレミアム 『真田丸』#19 “恋路” 18:00〜18:45

録画済。


「さがりなさい」
少女のそれではない茶々(竹内結子)の声。
様々なものとの訣別。
真田太平記』で「わぬしとは共に死ぬるような気がする」と若き日の幸村(草刈正雄)が佐平次(木之元亮)に言う。
戦国の世の男同士だからこういうこともあるんだろうなと。
これが、男と女でそれも強大で堅固な城の中でとなるととたんに溢るるメメント・モリ感(爆)。
「離れ離れになってもあなたはいつかまた戻ってくる。そして私たちは同じ日に死ぬの」
「遠い先である事を祈っております」
源次郎(堺雅人)は否定しないんだよね。
この先を知ってる視聴者には堪らんよね。知らない視聴者はどきどきだよね。
怖いもの知らずのきりちゃん(長澤まさみ)が珍しく深刻な顔で呟く。
「私あの方が怖い」
そんな自分の言葉を振り切るように、茶々の山吹の押し花ぱっくん*1。お見事。
魔界が一瞬で日常に戻りました。ホントほっとするわー。
と思ったのも束の間。
奥殿で秀吉(小日向文世)と寧(鈴木京香)に拝謁する茶々。
こっちゃエロスとタナトスか。
「茶々様を側室に迎えるという事は殿下が信長公をのみ込み超えるという事。この先殿下はどこへ向かわれるのか…」
三成(山本耕史)の言葉に14話の清正(新井浩文)のじたばたを思い出しました。


ツイより。

https://twitter.com/oumi2_jun/status/731778194731192320
とにかく本田親娘は可愛いな〜!癒し。登場する度にドラゴンボールミスターサタン&ビーデル親娘思い出す。#真田丸

うんうんわかるひとにはわかる。耕史君に教えてあげたい。もしかしたらとっくにそう思ってるかもしれんけど。

https://twitter.com/lapis_roripop/status/731842279682363393
叔父上は「真田のために」一線引いたところから真田を見てるんじゃないかと感じた今回。徳川との縁組について狙いは何か、父上は流れるように叔父上に聞いてて、それに叔父上は内情探りじゃないかって冷静に分析した答えをしてた。ちょっと離れて見ないと出てこなそうな答えだと思う。 #真田丸

信尹叔父上 (栗原 英雄)は装いも新たに♡♡♡。総髪時代は静かな佇まいの中にもぎらりとしたものがあったけど、月代姿はそういうものがなくなった気がする。なくなったというか、もの凄く奥底にしまいこんだというか……。徳川の中に居ることを実感したのでした。

https://twitter.com/repulse2twitwi/status/731809526836432896
源二郎へのジェットストリームアタック! #真田丸


ハイクでも呟いたけどおなかいたい(笑)。
ツイを眺めててこういうネタ拾うの楽しいわあ。80年代に沼ってたモノでいまだにうきうきできるのってホント嬉しい。各クラスタの皆さまありがとうございます。


余話。三成がバックレた時の台詞の中の「六の宮様」。こちらもハイクで呟きましたが、司馬さんで短編あり。この大河では登場しませんかね。あ、幽斎も絡んで来るからそっちも出さないとダメになるか。ナレ登場だけかも(汗)。

すべて、秀吉の時代のようではない。秀吉のころにもうけられていた京都奉行は、あくまでも宮廷本位な、朝廷の御用を下手からとりづいていく機関であったが、家康の世になって置かれた京都所司代は宮廷の目付役であり、ときには検断官の高みに立った。このため天子以下女官にいたるまでの日常が暗くなった。
−陽が、落ちたのです。
と、宮は兄の帝をなぐさめた。陽とは秀吉のことであった。この国の宮廷にとって秀吉の出現は陽がさし昇ったがごとくであり、その生存中には終日陽があたっていた。秀吉の死によってにわかに翳った。
−家康は、もともと豊氏のごとくではありませぬ。
とも、宮はいった。宮は家康の顔を見たのは数度にしかすぎないが、あの様子は決して詩人ではない。秀吉は詩人であった。詩人でなければ、宮廷の典雅さ、美しさ、その芸術性は理解できぬであろう。理解できなければ、宮廷への愛情が湧くはずがない。
(中略)
元和元年、家康はいわゆる大坂夏の陣をおこし、秀頼を包囲し、火のなかで死なしめた。つづいて家康は京に人数を送り、阿弥陀峰の秀吉の廟所をあますなく破壊し、その神号−豊国大明神−を棄てさせた。
−そこまでする必要があるのか。
と、宮はおもったであろう。さらに家康は宮廷に対し、その活動を御所内のみにとどめさせるべく法をもって束縛してきた。公家法度それである。
宮は、すべてに失望した。ついに京を避けようとした。
真夏、宮は桂川のほとりに瓜見にゆく。その場所に住まいをつくることを思い立った。ここに別業をつくりそこに住み、それによって和学のうつくしさのなかに沈潜し去ろうとした。
この宮は、後世にいう桂離宮をつくった。あの離宮のすべてをつくったのではなく、かれは祖形のみをつくり、あとは晩い結婚でうまれた嫡子の智忠親王によって完成された。

司馬遼太郎『豊臣家の人々』(角川文庫)“八条宮”より抜粋

*1:でもあれ飲み込んだのかな?。フリだけじゃないのかな?。