NHKBSプレミアム 『真田丸』#26 “瓜売” 18:00〜18:45

録画済。


とり(草笛光子)に合掌。
ばば様最強伝説健在。無双有働アナのナレをぶった切る。
「見ておるぞ、ばばは。怠るな」
最期までカッコイイばば様。お疲れ様でございました。
にしても、お前たちじゃないみたいに言われた昌幸(草刈正雄)と信尹叔父上(栗原英雄)が、「えっっ」みたいな顔して目を合わせるとこなにこれかわいい。叔父上久々の登場で今まで見たことないかわゆさって死ぬ。
かわいいけども、ばば様の「お前たちに言い残した事などない」って凄いことだよね。

秀吉(小日向文世)が言ってた武具馬具の早口言葉っていつからあるのかしら。『外郎売』の口上の内だけど江戸中期。

https://twitter.com/tikiwumf/status/749634184235261953
ああ〜……脳内で「あそびを〜せんとや〜生まれ〜けん」と「不孝糖〜不孝糖〜おやおやおやおや親不孝の不孝糖〜」と「あ〜じ〜よ〜しのう〜り〜召され候〜へ〜」が交互に再生される #真田丸 #ちかえもん #平清盛

同志がいた(爆)。

https://twitter.com/aramotokei/status/749559908639444992
側室12人……これが全滅か……コンスコンのように…… #真田丸

わかるひとにはわかる。


退屈しのぎの仮装大会。関東の連れション同様、通説ですし一応史料にも残ってますので、三谷さんの創作ではありません。「また三谷のバカが捏造しやがった」とか言ってるヤツがバカです。いっぺん死んできやがれ。

豊臣の天下が安定し、秀吉がついに外征をはじめ、家康をともなって、朝鮮渡海の大本営である肥前名護屋城に滞陣していたころ、退屈のあまり、仮装園遊会をもよおした。
瓜畑の上に仮装の町をつくり、旅寵、茶店なども建て、諸侯に仮装をさせた。こういう遊びをする点では、秀吉は天才的な企画者であった。
会津若松九十二万石の蒲生少将氏郷が担い茶売り、旅の老憎が織田有楽斎五奉行のひとり前田玄以が、長身肥満のいかにも憎さげな尼姿、有馬則頼が、「有馬の池ノ坊」の宿のおやじ、丹波中納言豊臣秀保が漬けもの売り、旅籠屋のおやじが、秀吉近習の蒔田権佐、その旅籠でさわがしく旅人をよびこんでいるのが、美人できこえた奥女中の藤壷。
というかっこうだった。
−家康はどうするか。
というのが、秀吉の関心事だったろう。家康は、鷹狩りと武芸以外は無趣味な男で、こういう企てを、どちらかといえばにがにがしく思っているはずの男だった。
しかし、秀吉白身が、怪しげな柿色の椎子に黒い頭巾をかぶり、菅笠を背中にかけ、藁の腰簑を引きまわして、きたない瓜売りのおやじになっているのである。
(わしがこうしている以上、江戸内大臣もなにかせずばなるまい)
とおもっているうちに、仮装の町の辻にでっぷりとふとったあじかへ土運びのザルに似たもの)売りがあらわれたのである。
家康であった。いかにも不器用に荷をにない、荷をふりふり、
あじか買わし、あじか買わし」
と呼ばってきた。内心、おそらく不機嫌であったろうが、秀吉の機嫌を損じてはなるまいと思ったのであろう、必死に売り声をはりあげてくる。
これにはどっと沸き、
−そっくりのあじか売りじゃの。
と目ひき袖引きする者が多かった。
ともあれ。−
このふたりの関係は、秀吉もつとめたが、家康も哀れなほどにつとめた。たがいに怖れ、機嫌をとりあい、
(いつあの男が死ぬか)

とひそかに思いあってきたに違いない。もし家康がききに死んだとすれば、秀吉はえたりかしこしと理由を設け、その諸侯としては過大すぎるほどの関東二百十余万石の大領土を削るか、分割し去ってしまったであろう。
しかし、すでに、秀吉のほうがさきに死ぬ。
家康は内心、
(勝負は、ついには寿命じゃ)
とおもったにちがいない。
しかも諸侯に対し、
−秀頼様にそむくな。
という誓紙をとる役まわりになったのである。この男は、その皮肉な役を、神妙に、世も律義な顔でつとめた。
(狸じゃ)
と、利かん気の三成が憎むのも、当然なことであった。
名護屋城外でのあじか売りも妙技であったが、こういう大芝居の役者としては、類のない演技力を、家康はもっていた。

司馬遼太郎関ヶ原』(新潮社)“秀吉と家康”より抜粋

この大河では秀吉は純粋に楽しみたかったんじゃないかなあ。ネタがかぶろうが昌幸に負けようが一向に構わなかった気がする。
でも誰も心の中ではまったく笑っておらず、政治的でありすぎた。
こっちも笑えるようで、笑いたいんだけど、ホント笑えないんだよね。
三谷さんは喜劇に隠された悲劇や闇を描くのが巧くて困る。喜劇が喜劇であるほど闇は深く濃く……。