録画済。
新春、国宝・二条城の金色の大広間が特設セットに生まれ変わる。二条城は、関ヶ原の戦い直後に建てられた徳川家康の城。近年研究で、“戦う”ためではなく、天下人としての“権威を示す”城だったと裏付けられてきた。幻の天守、空前絶後のスピード建築。誰がどのようにこの城を建て、どんな仕掛けを込めたのか。大河ドラマ『真田丸』石田三成役で戦国を生き抜いた俳優・山本耕史が、歴史、美術の専門家とともに二条城の謎に迫る。
【出演/語り】山本耕史 【出演】南果歩/磯田道史/橋本麻里 【司会/語り】井上あさひNHK 番組表より二条城を観るといつもくっそと思う。同時代に建てられた名古屋城の日本史上最大*1の天守閣も最高格式の本丸御殿も空襲で丸焼け。襖絵や障壁画は空襲直前に避難させられたんだけど、金鯱を降ろす準備のために組まれた櫓に焼夷弾がひっかかって燃えまくって金鯱も焼けちゃったんだよ。焼けなければ、二条城に優るとも劣らぬ日本の宝だったのに。
以上、名古屋市民の愚痴でした。見直す時間ないので、ハイクで呟いたのをベースにちょろっと書いときます。こういう時ツイッターやってれば(アカウントは持ってる)便利なんだろうけど、色々気を使って呟かなあかんくらいならやらん。
先日の古墳マニアっぷりの片鱗もなく二条城に浮かれまくる磯田先生。あのちっちゃい松よく見つけたよね。
http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/nijoujou0930amana-p/nijoujou0930amana-p/tour.html
時代劇のセットとの違いはまあ広さは勿論、天上の高さが違うよなあ。しかし見事な格天井。
耕史君、将軍様になる(笑)。まあ秀忠やりましたしね。徳川将軍役をする治部殿には、あなたが殺されたからこの城建ったんでしょと言いたくなる超違和感が拭えないけど、座り方が正座ではなく、戦国時代から江戸初期のあぐら型を自然にされる立ち居振る舞いには、さすが治部殿と思わされる。 #BSプレミアム #真田丸 #二条城
— odatch*_* (@odatch1207) 2017年1月7日名古屋城も中井正清。千石の知行はすごいよな。安土城の岡部又右衛門も官位は貰ってたよね。修理亮だったか。かっこいい!山本耕史に大河ドラマ「徳川家光」演って欲しいな❤余は生まれながらの将軍であーる! #二条城 pic.twitter.com/JeByL9i9hG
— カオルッチィ★てるみーっこ♪レポ隊士 (@KaOrutcH) 2017年1月7日— みらくるやそ (@mrkysoJP) 2017年1月7日岡部又右衛門の映画が出来るんだから出来るよな。BSの二条城で聚楽第の図面とか新出資料が出てきておぉっ!とワクワクもしたけど、大工の中井正清の弟子?の末裔の安田さんの奥様が「山本(耕史)さんがお見えになるから家内が蔵の中を一所懸命探した」って言ってたのにほんわかしてる。安田さんの奥様凄い。絶対真田丸見てた #二条城 #真田丸
— kozaru (@kozaru15) 2017年1月7日二条城やら聚楽第やら江戸城天守閣やらの図面て当時のトップシークレットやないの?。武器庫ここだよって描いてあるんでしょ?。まあ、出てきたのが初稿で決定稿とは違うのかもしれんけど。そら斑鳩文化財センターの方も吃驚や。安田家ご当主に「焼肉屋のエプロンじゃないんだから」になりますわな(笑)。てことは、治部殿とも顔見知りだった可能性も? #二条城
— 紗織エリ (@saori_eri) 2017年1月7日マジでな。聚楽第の江戸中期の図面は名古屋市博物館の展示で観たことある。広島市中央図書館蔵と東京大学大学院工学系研究科蔵。あ、二条城のもだ。中井正知氏蔵(京都市歴史資料館寄託)で。←当時の図録引っ張り出した*2。http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji100925.html城建築の子孫の方のお蔵を大調査したら、残っていないと思われていた織豊期&江戸初期の建築物の資料が大量に出てくるんじゃ...。奈良大でガッツリ調べさせてもらうべき! #二条城 #真田丸 https://t.co/ScAuHjL3oR
— odatch*_* (@odatch1207) 2017年1月7日
待って。耕史君が大阪くらしの今昔館で見てる名古屋城の指図も観たことあるぞ。と思って図録繰ったら下記の如く。なこや御城御指図 一舗/紙本墨書/江戸時代初期/縦173.0 横162.2/中井正知氏蔵(京都市歴史資料館寄託)
名古屋城本丸御殿の創建時の姿を示す唯一の絵図。小天守の構造が現状と異なっており、造営工事が未完成段階の計画図と考えられている。この時大棟梁として作事(建築工事)を担った中井正清を初代とする幕府京都大工頭・中井家に伝来した。今は大阪くらしの今昔館にあるのね。
西岡常一氏の唯一のお弟子さんの小川さん!。いつだったかたけしの番組で拝見した記憶が……。継手はもう社寺建築ではてっぱんですけども、身近なとこではDASHでTOKIOぐっさんが得意としております(爆)。
城の天守やら門やらの移築はあっちゃこっちゃで。超有名どころでは、伏見城の門だね。国宝唐門三つが豊国神社と西本願寺と三宝院に。殿舎もあっちゃこっちゃ。彦根城は佐和山城から大津城から小谷城から長浜城からetc。まあこれらは、伝、ですけども。
徳川将軍超プラベ空間・白書院で御寝あそばす耕史君。あそこで最後に寝っころがった将軍は慶喜なんでしょうね。
二条城行幸図屏風、超絶綺麗だなあ。この行幸がきっかけで幕府が御水尾天皇の院政を認めたんだよな。←違った(汗)。記憶違いでもうちょい後の家光の上洛の時だった。
すぎたか盛りって神饌みたい。談山神社のとか。春日大社のとか。
http://www.photoland-aris.com/myanmar/near/n69/
http://kenkyu.kogakkan-u.ac.jp/museum/exhibition_museum/lobby-2.php
まあ、天皇への御饌ですよね。
結構長くなりました(汗)。こうして見ると、家康はやはり真の天下人。いいものを見せていただきました。耕史君の所々で出る治部味も良かったです。
ただ、上に書いた展覧会の図録に本日の内容がだいたい書いてあったし*3、同じような史料もたくさん載ってて、要は図録の方は二条城が名古屋城に置き換えられてたと思えばいいというオチがありましてな(汗)。
余話。耕史君の赤いコートどこのだろ。マッキントッシュ?。