録画済。
蔵出し!名舞台~歌舞伎俳優“三世實川延若”
平成三年に亡くなった名優、三世實川延若を特集。上方・江戸双方の歌舞伎に通じ、立役から敵役、老女形とあらゆる役を演じ、舞踊も得意とした歌舞伎のマルチプレイヤーである。「宙乗り」などのけれんの復活にも大きな役割を果たした。延若が平成の歌舞伎界に与えた影響とその功績を、NHKに残された貴重な映像で振り返る。演目:「鯉つかみ」「研辰の討たれ」「小さん金五郎」ほか。
【出演】水落潔 【司会】石田ひかり/吉田真人NHK 番組表より
河内屋の晩年については、本当に気の毒な話をいくつも耳にした。あの役者はよかった、あの舞台は絶品だった、なんてキラキラした昔話の裏には、どれだけ陰惨なものがうごめいていたか。どんなジャンルの芸能であれ、だからわたしは、なるべく楽屋に行ったり演者と付き合ったりしたくない。
— nemo (@capitainemo) February 16, 2019
河内屋は悲劇としか言いようがない。無知と絶対的権力に殺された役者と言ってもおかしくはないかも知らんな
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
河内屋は台詞覚えが悪いといったが、これは晩年精神も肉体も病んでからだ。そのキッカケとなったのがやはり東京勢のいびりと先輩との齟齬よな。鴈治郎仁左衛門が人間国宝になったのは、河内屋にとってあまりにも不運であった。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
河内屋は基本父の芸を受け継いだ訳だから松嶋屋とも成駒屋とも違う。然し、人間国宝になった二人が和事をやると、流石人間国宝となるが、河内屋が親の形をやってやると、この人は余計な事をする、鴈治郎や仁左衛門から何を学んだ、と噛みつかれる羽目になる。一つのやり方として正しいにも関わらず。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
で、鴈治郎仁左衛門が吉田屋とかの鉢を河内屋に回すかというとそうじゃない。結局それは扇雀や孝夫へ行く事となった。その息子たちがやる芸は、父譲りだの、よく勉強している、と褒められるのだ。河内屋と違い、ね。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
結局鴈治郎死に、仁左衛門老いた時、河内屋もそこで鉢が回ってくるかーーという時にはもはや命運が尽きていた。おぼつかぬ身体、覚えられない台詞、周りの冷笑。コレじゃ体を壊すよ。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
それに河内屋の可哀想な所は東京勢に殺された、とでも言おうか。歌右衛門を筆頭に、多くの人から誤解され、侮蔑され、泣く泣く上方の型を封じる事になった。猿之助劇団や顔見世で鬱憤を晴らす事もあったが、先述した人間国宝の存在がまだ邪魔をする。もうにっちもさっちもゆかない、
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
いい例として、碇知盛の平知盛、先代萩の八汐、車引の松王丸なんかが挙げられるか。これは正に関西の型をよく覚えていたが、このやり方を巡って、東京勢に散々いじめられた。門之助は憤死、延若は哀死、と評した人がいるが、この無知によって延若の芸は定まりつかぬものになってしまった
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
平知盛は、河内屋の型だと手負いになった後に矢を抜いて血を舐める下りと最後に入水した後に舟弁慶の早変わりをするという型を持っていたが、これを下品だのケレンと叩かれたんでね。その結果やる気を失くして削るようになってしまった。矢の形は、片岡孝夫が受け継いだが。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
八汐は、関西の型で千松を嬲りながら手鏡を取り出して栄御前の顔を伺うーーというやり方で、今、林与一氏がやるはずやけど、これが歌右衛門の顰蹙を買った。そして劇評でも卑しいと書かれる羽目になった。結局この八汐は猿之助劇団でやるに留まる羽目になった。悪い型ではないのにね。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
そして一番可哀想なのは松王丸だ。一九八〇年に初役で松王丸を貰った際、座頭として関西の型を演じた。義太夫にたっぷり乗って、大阪弁情緒たっぷりに演じる関西らしいやり方と聞くが、これを見ていた東京の幹部たちは河内屋を冷笑して「河内屋、お前の義太夫は訛ってるぜ」。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
しかし、それは可笑しい。義太夫は元々関西弁から出た芸能なんだから、関西弁で消化するのが当然だ。住太夫じゃないが義太夫は平素から関西弁を身に着けておかないと実感が出ないーーという教えのとおり、どう足掻いて見せても関西にかないっこないんだわ。にも関わらず東京の幹部はそういった。
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
延若の心中幾許なるものだっただらう。全てが逆さまなんだよな。父に付き、そして戦後は武智鉄二の斡旋で綱太夫や山城についた事もある男が、義太夫が訛ってる、だぞ。ここで血気があったならば、噛み付いて見せる根性があったかも知らんが、人のいい河内屋はそれをやらず、自責してしまった
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019
河内屋は自信をなくし、心を病むと科白が言えなくなる、言えなくなると酷評され、また自信をなくす、なくすと身体に不備が出て……とスパイラルにハマってしまった。もし幸四郎が東宝から復帰して歌右衛門に捨てられなければ、関西の型に理解がある人が居れば……こんな事にはならなかったかも知らんが
— 喜利彦山人 (@kirikiri_jyukai) February 16, 2019