BS朝日 『知られざる物語 京都1200年の旅』 北野天満宮と学問の神・菅原道真 22:00〜22:54

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京都を代表する梅の名所として知られる北野天満宮は、学問の神様として知られる菅原道真公を祭った神社。北野天満宮のいたるところにあるのが「牛」。なぜ天満宮に牛なのか?。そこには、道真と牛との深いゆかりがあった。道真を祭った神社のことを「天満宮」というが、小さなものも含めると全国各地に天満宮は1万2千ほどあるといわれている。京都にも数多くの天満宮がある。さまざまな食材の店が軒を連ねる、京都の台所「錦市場」。その奥にも菅原道真を祭った「錦天満宮」があり、今も地元の人々を見守り続けている。
学問の神として知られる菅原道真は、親子3代続く学者の家系に生まれ、幼少の頃より学業に励み、当時としては異例の早さで学者として頭角を現した。また、情緒豊かな和歌を詠む優れた才能の持ち主だったともいわれる。そんな道真が学んだとされるのが「菅家廊下」といわれる菅原家の学問所。現在は「菅大臣神社」と呼ばれるこの場所で、道真は学問にはげんだという。
そんな道真最大の功績といえば、遣唐使の廃止。894年、遣唐使の大使に任命された道真は、既に崩壊しつつある唐に危険を冒してまで行く必要はないと天皇へ進言を行い、遣唐使は廃止されたのだ。その後、学者として順風満帆な道をたどるかに見えた道真だったが、道真のライバル・藤原時平の策略により、道真は大宰府へと左遷されてしまう。それから2年、道真59歳の2月25日。道真は無念の思いを抱きながら、遠く九州の地で、京都に戻ることなく亡くなることとなる。「北野天神縁起絵巻」には、そんな道真の大宰府の暮らしが描かれている。
道真の死から数年後。道真をはめたとされる時平の周囲で、次々と不幸なことが起こり始める。京の都では、“恨みながら亡くなった道真の怨霊の仕業では…”といううわさまで流れ、そして平安京内裏・清涼殿で、道真の怨霊が起こしたとされる最大の事件が起こるのだった。
菅原道真は、一体どんな人物だったのか?。そして彼は、なぜ“神”と呼ばれるようになったのか。今回は京都の天満宮や道真ゆかりの場所を訪れながら、その知られざる物語に迫る。

BS朝日 番組紹介より