NHKBSプレミアム 『花燃ゆ』#5 “志の果て” 18:00〜18:45

録画済。


本田さんの富永有隣ハマってるなあ。司馬さんが描く有隣のひととなりからするとカッコよすぎるんだけども(爆)。

富永有隣は顔の青ぶくれたあばた面の男で、みるからに狂相であった。左目が指で押しこまれたようにしてつぶれており、眉間が削ぎあげたようにけわしく、ただ口がなまずのように大きいという一点の滑稽な感じだけがかれの印象をわずかに救っていた。
これだけ酷薄凶暴な感じの男でありながら、かれがやった犯罪というのは殺人でも強盗でもなく、智能はすぐれていたが詐欺でもなく、女色を好みながら強姦でもなかった。ただいやなやつというだけで牢に入れられているのである。
<中略>
富永には、いまひとつ才能があった。自己保存の異常につよい性格に根ざしたものかもしれないが、どうしようもないうそつきであることだった。
寅次郎も後年になってこれに気づき、ひどく驚き、
「此人、虚言の名人なれば、一度書道面接しもすると、尾を附け、羽を附け、埒もなき事を言散らす事、当然なり。此事、迷惑の第一也」
というような手紙を土屋瀟海という友人に書かざるをえないはめになったが、しかし獄中で富永に接しているとき、寅次郎は虹のようにうつくしい錯覚を富永の上にえがいた。このことは寅次郎の終生の美徳ともいうべき悪癖であった。かれは獄中で富永を卓抜した偉丈夫と見た。錯覚ではあったが、しかし寅次郎のこういう懸命で熱狂的な錯覚というのは、むしろのちかれに接する多くの平凡な若者たちを感奮興起させるもとになり、ついにはかれらをして思いもよらぬ英雄的行動をなさしめるという壮大な歴史のロマンをつくるのだが、しかし相手が富永有隣では寅次郎の歯が立たなかったといえるかもしれない。

司馬遼太郎『有隣は悪形にて』(『木曜島の夜会』(文藝春秋)に収録)より抜粋