NHKBSプレミアム 『花燃ゆ』#10 “躍動!松下村塾” 18:00〜18:45

録画済。


前原一誠佐藤隆太)が出てきたとこで、自分的メモ。

乃木も児玉も長州人である。いずれも維新前後において、悲痛な個人体験をもった。少年期の乃木を薫陶したのは、親戚の玉木文之進という骨の髄からの古武士で、この玉木は吉田松陰の叔父であり、その師匠でもあった。玉木は維新後、前原一誠ノ乱に関係し、自刃している。乃木の弟の正誼はこの文之進の養子になり、玉木姓を名乗っていたが、前原ノ乱に参加し、戦死した。
児玉の場合は、長州の支藩徳山藩の出身で家禄は百石であった。父が早世し、姉婿が家督をとっていた。その姉婿が藩内の佐幕派に殺された。それも凄惨としか言いようのない死で、佐幕派の壮士数人が覆面して押し入り、家族の面前で抜刀し、兄を惨殺した。児玉はこの頃、まだ十三歳で、稚児まげを結っていたが、惨殺の現場には居あわさず、その直後に帰宅し、そのあと冷静に死骸の始末その他をやってのけたという。
「むかしはいろいろなことがあったよ」
と児玉がいうのみで、昔ばなしをしたがらなかったが、当主の兄が惨殺されたあとの児玉家の窮状はすさまじいもので、藩は児玉家の家禄をうばい、屋敷から退去することを命じた。その後、高杉晋作のクーデターの成功によって藩論が抗幕決戦へ再転すると、藩は児玉家への処置を一変し、源太郎に家督を継がせ、家禄は二十五石ながらもともかく家名を回復させた。乃木家も児玉家も、要するに維新前後の動乱のなかでもまれ、かれらの私的事情と新国家の誕生とが一つのものとなっていた。その新国家の存亡がかかっているとき、一人は総参謀長であり、一人は旅順攻略の第三軍司令官であることに、田中*1は維新前を知らない新世代だけに、ひどく劇的な感慨をおぼえるのである。

*1:田中国重。薩摩人。日露戦争当時少佐。