坂口安吾『安吾新日本地理』

安吾新日本地理 (河出文庫)

安吾新日本地理 (河出文庫)

ありゃ、もう古本しかないのか。
大河&頼長関連本を新たに購入してないので、心もとない蔵書をひっくり返しての落ち穂拾い。安吾歴史三部作の一冊。

日本の相続の習慣は(習慣だろうな。昔は制度や法律ではなかったろう)古代に於ては家長が自分の好きな子供に与える。これを選定相続というのかね。しかし、長兄に与えるのが自然だという不文律が感情的に存在していたのかも知れない。応神天皇は二人の子供をよんで、お前らはお前たちの子供の場合に兄の方が可愛いいか、弟の方が可愛いいか、ときいた。というのは三人目の末弟に皇位を譲りたい下心があったからだそうだ。長兄は兄の方が可愛いいと答えたが、次兄は天皇の心を察して弟の方が可愛いいと答えた。天皇はよろこんで、次兄の言葉は正しい。一番下の子が可愛いいものだ。だからお前らには皇位をゆずらず、三番目の末ッ子を天皇にするよ、と言い渡した。しかし、天皇崩御のとき末ッ子が辞退して次兄に皇位をゆずった。この次兄が仁徳天皇だそうだ。
こんな話が記紀にあるから、親も好みのアトツギを選ぶには子供に気兼ねがあったのだろう。選定相続は概して末ッ子に譲ることになり易い。末ッ子が一番可愛いいのが大概の親の気持らしいな。また末ッ子の母が一番若くて美人で、お気に入りなのも自然だろう。昔は子供の母がたいがい一々違っているから、尚さら事はメンドウであったね。

長子相続は大化改新からだそうだが、どうだかね。しかし、いきなり壬申の乱が起ったほどだから、どうも天皇家の相続はうるさいね。藤原一族が勢力を得て、銘々が自分の娘を嬪だの夫人だのというものにして自分の血縁を天皇に立てようと企むに至って、相続のたびに、否、常に相続をめぐって、お家騒動の絶え間なき連続のようなものだ。藤原一門自体が氏の長者だの関白をめぐって父子兄弟の絶え間なき争いでもあった。藤原氏にも三種の神器のようなものがあるのだね。これを、長者の印、朱器、台盤とやら云うね。朱器台盤というのは食事の道具らしいや。年に一度の大宴会に大臣諸公や代表的日本紳士諸公にこの朱器台盤とやらでもてなす。これが藤原長者の貫禄なんだそうだ。そこで朱器台盤とやらがないと氏の長者になれないから、これをめぐって争奪戦をやらかす。平安朝はテンヤワンヤさ。この時代に於ける儀式や虚器の人格化というものはまるで実生活をもつ生き物めいた妖怪であった。
私は戦争中バクダンに追いまくられている以外の時間に甚しく退屈に苦しんだので、この時とばかりに「台記」だの「玉葉」というものをノートをとりながら読みはじめた。この種の本はいかに退屈している時でも連続的に読めないな。こういうものを読むことのできる歴史家という存在は実に超人だとその時シミジミ思った。「台記」も「玉葉」も、つまり朱器台盤とやらをめぐって争奪の実戦に経験ある関白殿の日記なのである。第三次世界戦争がはじまったら、また台記玉葉をよむかね。しかし私の生存中に百ぺん世界戦争があっても、とてもこの本を読み終る見込みはないね。
天皇トハ何ゾヤ。三種ノ神器デアル。イヤ、笑イ事デハアリマセン。台記だの玉葉というものを三頁ぐらい読めば、虚器とは人格的に実存している厳然たる怪物だということが分ります。

ええもう「尚さら事はメンドウ」で「平安朝はテンヤワンヤ」で、おっしゃる通りでございます。いやまあ頼長関連といってもこれくらいなんですけども(汗)。
“虚器とは人格的に実存している厳然たる怪物”は至言。
しかしながら、戦前の「国漢数英」教育が羨ましく思える今日この頃。漢文が原文ですらすら読めちゃうんですもんね。おまけに安吾氏なんか氏言うところの坊主学校出身で『上宮聖徳法王帝説』なんぞ読まされてるもんだから、『台記』や『玉葉』くらい朝飯前でしょう。
誰か『台記』訳してくんないかなあ。『玉葉』も。つーか折口信夫がもうちょい長生きして、頼長の話完結してくれればよかったんだわさ。ついでに(ついでかよ)に『台記』も訳してくれればよかったんだわさ。


余話。これ青空文庫で読めます。読みにくいけど(汗)。今回は時間の都合で本書じゃなく青空文庫からコピペ失敬。