NHKBSプレミアム 『軍師官兵衛』#2 “忘れえぬ初恋” 18:00〜18:45

録画済。


ああ、浦上氏に嫁いだ妹を幼馴染のおたつ(南沢奈央)に設定にしたのね。戦国無情の哀しさよ。
ちなみに、赤松氏の浦上氏攻めは『播磨灘物語』に一行の記述もなし(爆)。

−黒田どのが、よき者を集めておられる。
という評判は、官兵衛の幼いころからこのあたり一帯にひろがっている。
<中略>
「よき者」
となると、むずかしい。黒田家はなるべく姫路村とその付近の農民から人を採り、侍に仕立ててゆくのが方針であった。ただ、士分という将校の人材になると困難で、その任がつとまるだけの勇気、才覚、腕力がそろっていなければならない。
<中略>
「官兵衛自身が育てよ」
と、父の兵庫助がいうようになったのは、官兵衛の十七、八のころである。
ひとつには、兵庫助は官兵衛をみて、どうやらこの息子は自分以上の男だと思いはじめたらしい。息子がみずから養成した士卒でなければ、将来、きわだった仕事ができにくかろうとおもったのである。この例も、めずらしい。この時代の武将は、力量のある息子に対し父親が嫉妬する例などもあって、家督を容易にゆずろうとしないのがふつうだが、兵庫助は淡泊であった。
<中略>
右のような背景のもとに、のちに黒田家をささえた名のある者たちがあつまってくるのである。
たとえば有名な栗山備後も、このようにして黒田家にやってきた。
官兵衛が二十のときである。栗山は小柄なわりには頭の大きい子で、奉公にあがったときはまだ十五歳であった。名は善助といった。
<中略>
官兵衛ははじめてこの十五歳の少年に対面したとき、優しげな口もとに似合わず、両眼が異様なほどに輝いていることに気づき、ひどく気に入った。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“姫路村”より抜粋

濱田君の善助そのまんまやんか(笑)。
信長(江口洋介)の新加納の戦いの時の走馬灯は戦国クラスタには超常識だけども、一般視聴者には説明不足も甚だしい(苦笑)。あれなら美濃攻略の失敗と、竹中半兵衛谷原章介)の登場だけで良かったんじゃないかと。