録画済。
初代内務卿はおん自ら佐賀出張しますと言いだしてはるばる鎮圧に赴かれましたが、大砲がどかんどかん鳴る中を涼しい顔して歩き回ってたらしく
— いが(たろに) (@iga_iganao) November 25, 2018
それをやれよ!!!それを!!!
#西郷どん
士族の反乱より、本妻とお妾さんの反乱のほうが心配な 大久保利通卿。#西郷どん pic.twitter.com/fv8M2idUwP
— 東区の人 (@Higashikunohito) November 25, 2018
てなわけで、今日も今日とて町田先生のツイへ。このドラマは薩摩視点なので仕方ないんだけど、薩摩は政府が各県に課した法や制度を無視して相当好き勝手にやってた&やり始めるので、そりゃこのまま放置もできんかったろうなと思うし、雄藩以外から見るとおいおいって感じよ #西郷どん
— いが(たろに) (@iga_iganao) November 25, 2018
ところで、鹿児島県は廃藩置県後も、それ以前と大差のない状況を作り出していた。西郷の盟友の一人、県令大山綱良は県の役人のすべてを旧薩摩藩士族から登用し、租税は中央に納めなかった。#西郷どん
— 町田 明広 (@machi82175302) November 25, 2018
鹿児島県では、表向き政府の法令に従いながら、旧態依然とした士族による封建国家の様相を呈し、徴兵制も無視されていた。鹿児島は島津家に替わって西郷を最高支配者、事実上の新藩主とする士族独裁国家に変貌することが容易な下地は、西郷の帰国以前に出来上がっていたと言えよう。#西郷どん
— 町田 明広 (@machi82175302) November 25, 2018
あまり語られないが、長州藩山田顕義という大村益次郎に学んだ用兵の天才がいたから、新兵ばかりの新政府軍が佐賀の乱で勝利できたわけで、農民の兵が士族に勝てるという事がわかったなにげに重要な戦い。
— 一二三 (@nunonofuku123) November 25, 2018
#西郷どん
#西郷どん 江藤新平、自分で作った法律で指名手配されて捕まって処刑されたというある意味半端ない人だが彼の生きた明治よりも2200年ほど前に同じようなシチュエーションで捕まって刑死した秦の商鞅という人がおましてだな
— tocco@ (@HyperionTocco) November 25, 2018
江藤新平は
— 晴野未子🏯歴タレ(本アカ) (@3535haruno) November 25, 2018
高知県の最東の地・甲浦で
晒し首になりました😢
司法の整備に務めた江藤新平
江藤が尽力し
当時の日本が定めた法では
・政治犯への死刑禁止
・晒し首の禁止
江藤はその法に則らない最期を遂げました。
法が蔑ろにされる姿こそ
江藤が一番悔しかったのではないでしょうか。#西郷どん
【治部と江藤の共通点】
— 石田三成 (@zibumitunari) November 25, 2018
・頭がいい
・融通が利かない
・引退→挙兵→逃亡→斬首という流れ
・同志の名前が何方も島(島左近・島義勇)
・お互いに享年40(治部は数えで41)
・頭がいい
・頭がいい
・頭がいい
・頭がいい
#西郷どん