- 作者: 中島梓
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1998/10/01
- メディア: 文庫
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ま、それはおいといて。
少年*3とは、選ばれてあること、選ばれて、「滅び」それ自体の代弁者であること−そして、何よりも、選ばれてあることを自ら知っている者である。そうであるとき、はじめて少年は、プロセスではなくそのままでひとつの思想である生物となる。(中略)「滅び」はいまやすすんで選びとられ、虚無はもはや終着の別名ではなくなった。それは、絶望を自ら身にひきうけることで希望それ自体に変え、孤独と無意味とを美の名において輝かしい栄光に変える意志である。
舞台のドリアンの最期を見て、ふと、この本の序文の断片が頭に浮かんで……。久々に本棚の奥からひっぱり出した次第。
“美しいままの死”の意義がここにあるような気がする。根拠ないんだけどね。超々々々個人的見解。
原作との隔たりに眼をつむるなら(爆)スズカツ版『ドリアン・グレイの肖像』は良品でしょう。友が「耽美を核とするなら映画か文学かアングラのお仕事でしょ」って。ごもっともなお言葉に矛を納めたいと思います(笑)。
キャストのバランスと相性が抜群だったかと。あと、ドリアンに“自分の意思”を持たせたこと。わかりやすくなるもんね。原作は“自分の意思だと勘違い”してしまったドリアンの愚かさがキモになってて、ひねくれてるというかバロック的というか、すっきりしないんです。実はそこが面白いんだけどさ。それをすっぱり切ったスズカツさんはあるイミ偉大。あとはね、やっぱ前嶋さんの生ピアノ。贅沢です。ラストの曲がなんとなくショパンの〔別れの曲〕っぽくって*4好き。
ドリアンに別れを告げた一人酒のヘンリー卿がまた会いたいそうですよ。今度はライラックの花の咲く頃がいいな。
つーか、強欲な私としてはこのカンパニーで新作観たいんだけど(笑)。
8/30に「31日の記事にちょっと書く」とか言っときながらただのキモオタ記事になってしまったので、全公演終了の区切りとして今日啓上。
まあ、たいしたこと書いてませんが。一応、カテゴリーに[koji]入れとこっと。