朝日新聞社『週刊司馬遼太郎7』

週刊司馬遼太郎 7 坂の上の雲 第3・4部 (週刊朝日MOOK)

週刊司馬遼太郎 7 坂の上の雲 第3・4部 (週刊朝日MOOK)

“私と司馬さん”のコーナーにサイバラが!。淑子さんはさぞお喜びでしょう。

司馬さんに最初にお会いしたのは昭和55年(1980)年4月4日でした。NHKの「歴史への招待」で日露戦争シリーズをやることになり、先輩と2人で東大阪の自宅へ出演のお願いに行きました。『坂の上の雲』が出版されてから8年たっていました。
司馬さんは「日露戦争はまだ生乾きの部分がある。それだけに取り上げるのは難しいんだ」と何度も言われました。軍人の虚像と実像を描く難しさや、日露戦争関係者をよく知る親戚もまだ生きていて、微妙な問題が起きることを心配されていました。私は断られるかなと思いました。司馬さんは、「たとえばですよ。高杉晋作が生きて出てきて煙草屋のカドでたまたま会ったとする。高杉から『あなたの書いた高杉晋作は大げさすぎる』と言われても、『歴史の立ち位置からみると私が書いたとおりです』と言い返せるぐらい、歴史小説は調べ上げてから書かなければならない」と説明された。そして最後に「難しい問題だからこそ私が話すしかないか」と言われたのです。

“私と司馬さん” 菊池正浩氏(NHKエンタープライズ・プロデューサー)談

で、井上ひさし氏が語るかの有名な神田の古書店街の逸話が残るわけですよ。