『おのれナポレオン』@東京芸術劇場プレイハウス(14:00〜) 1F-I-1・2

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作・演出:三谷幸喜
出演:野田秀樹天海祐希山本耕史浅利陽介今井朋彦内野聖陽
演奏:高良久美子芳垣安洋

「来月船が来る海を見に行こう」
ある一連の会話の中の何気ないナポレオン(野田秀樹)の言葉ですけど、妙に耳に残ってます。
そんな牧歌的なおっさん妖精の佇まいに隠された、冷静と冷酷と怜悧と鋭利。そこから生み出される「おのれナポレオン」という愛憎と、未来永劫を願う「ナポレオンの名誉」。
絶海の孤島でイギリス兵に囲まれ塀に囲まれた屋敷、いわゆる“閉ざされた山荘”のミステリ。ではなくいつもの三谷さんお家芸の群像劇でした。なんだかんだいって天才ナポレオンに魅せられてる凡人たちが足掻いて足掻いて足掻いて、やっぱ敵わなくって、やっぱナポレオンは偉大だというお話。殺したいのになかなか死なないし、死にたいのになかなか殺してくれないしの、悲喜こもごもの人間模様を楽しみました。オット曰く、結果や真相はどうでもいいそうな。そりゃそうだ、解く必要のないミステリですもん。この作品では犯人が誰かというのはさほど重要じゃないですからね。だいたいが、その辺に関してはアオリ文句で半分ネタバレしてるじゃん(笑)。
http://www.geigeki.jp/performance/theater018/
でもって全てが終わった後でも、なにも解明されてないと。いまだナポレオンの死の真相は謎のまま。そこを見事に利用した三谷幸喜はさすがというべきか。ただ、ラストは説明し過ぎな気がします。ミステリとしても単なる戯曲としても。ラストの展開が途中で想像できてしまったというのもあるんだけど、もう少し余韻というかこちらに委ねてほしかったなあ。あそこまで親切丁寧ならいっそのこと倒叙でも良かったんじゃないかと(爆)。まあライブビューイングという試みに向けてのことなんでしょう。
もひとつ、天才対凡人という面では『コンフィダント』の方が好みですね。あちらは、凡人の哀しさという、私たちが共感でき、誰の周りにもある“現実”が描かれてました。こちらは天才ナポレオンの哀しみと寂しさ。持たざるものからしてみれば「これ以上何が欲しいのか」という気持ちになり(苦笑)。それでも、もう幾万の兵を率いることもなく、目の前のチェスの駒を動かすことしかできない小さな巨人には、少し涙しました。
ああ、そういえば、あのチェスのシーンを見て、ナポレオンに将棋をさせてみたかったなと。チェスは取った駒は使えないけど、将棋は取った駒を味方として使えます。その分、チェスとは逆に終盤になるにつれ局面は複雑化。ま、チェス同様、天候や人心といった伏兵はないので、ナポレオンにしてみれば児戯に等しいかもしれませんが。
あと、戦争と天候に関する余話をひとつ。
青空文庫 寺田寅彦『戦争と気象学』
“天候を制する者は世界を制する”(from『お天気お姉さん』*1)ですな。

出オチみたいな登場で(大変失礼)全てをかっさらっていく野田さんは、ナポレオンに優るとも劣らぬ偉大なひとです。あれはずるい(笑)。観劇後『ボクらの時代』での色々を思い出しました。2011年7月11日の野田秀樹×古田新太×大倉孝二のやつね。実はまだ録画が残ってる。
「野田さんちで女の置き手紙見つけた」(大倉君)
「大倉ってあの時いたの?。落としたことも覚えてないよ」(野田さん)*2
「今日の3人は全然役に入り込まない3人」(古田さん)からの「野田さんなんか全く集中してない」(大倉君)
なんかもうまんまだなあ。
「集中してない」というと語弊があるけど、あれだけの野田狂想曲を繰り広げながらも、のめり込まずにどこか冷静なんですよね。一歩先どころか3シーンくらい先のアドリブのこと考えてそうな(爆)。
「管理下手」で「いつも楽屋から家に帰るとき靴下探してる」(古田さん)らしい、まさに冒頭で書いたおっさん妖精も野田さん。「こんなとき*3に不謹慎な、という言葉がまかり通るようになるのはいやだ」と流されない演劇界の旗手も野田さん。ひとはその二面性に魅かれます。数々の功績を残したせっかちな小男の天才ナポレオン然り。野田秀樹がナポレオンを演じるのは必然だったわけですよ。二人の最大の共通点は底知れなさ。カリスマってそうでしょう?。
野田さんとは比べ物にならないくらい素晴らしい(大変失礼再び)今井さんの口跡でもっと語るのかと思ってたら、その部分は耕史君担当でした。今井さんって映像でも舞台でもわりと小者感漂う役が多くて、今回も御多分に漏れず(苦笑)。アントンマルキは、プライドが高いのに常に臆病風に吹かれてる感じで、口跡の良さが返ってその搦め手を強調してて面白かった。
うっちーのボリュームがあまみんや耕史君と同じくらいでちょっと吃驚。配役を観た時、てっきりメインはナポレオンVSハドソン・ロウ(内野聖陽)で、それを取り巻く人々のなんやかんやかと。蓋明けてみたら冒頭にも書いたように、天才ナポレオンVS凡人団体。ま、よく考えたらロウはナポレオンから最も遠い位置にいるもんね(汗)。凡人団体の中でも最も秀才であり最も凡人だったロウ。天才には無用の常識や倫理や人がましい意地や虚栄を、ナポレオンにぶつけ続けて反発する姿は、うっちーの武骨な佇まいに合っていたと思います。
浅利君の舞台はお初。映像では子供の頃から結構観てるのに。若いけど巧いよね。ベテラン勢の安定感に負けず劣らずのバランス感覚で、見事な幕引き役でした。浅利君のコンサイスボディは職務に忠実な従僕にぴったり(爆)。
「自分が小さいんじゃない!」
わははは。コンサイス浅利君とは対照的なあまみんの長身ネタはてっぱんですな。彼女は周知のとおり、映像でも舞台でもきりりとした細身の長身を武器に、強く凛々しく逞しい女性を演じることが多いんだけど、アルヴィーヌは愛に生きるとっても可愛らしい役でした。あまみんが恋愛事情で誰かに嫉妬するなんて新鮮(笑)。いつもながら、彼女のコメディエンヌっぷりは素敵でした。
んで、我らが耕史君。三谷さんは彼の才能をとことん使い倒すよね。演劇界一の山本耕史の使い手。というか、どうすれば耕史君ファンが喜ぶかを実によく知っている。ああ悔しい。三谷さんの課題をのびのびと軽やかにこなしていく耕史君をわくわくしながら観るファンを、舞台袖で三谷さんがほくそ笑んで見ている姿を想像してしまって更に悔しい(笑)。
久々の耕史君の生声舞台堪能しました。9歳から17歳から30代から50代ジゴロからグラスパフォーマンス(?)からフラメンコギターから盛りだくさんだし。モントロンはナポレオンに「めんどくせえやつ」と言われてましたが、ホントにめんどくせえやつ(爆)。その辺がっつりあてがきだよね三谷さん。頭はいいのに相当ひねくれてて、ひとくせもふたくせもあって、シニカルで、全く愛のない目で微笑んでいて、嘘も真実も見せなくて、その実、ナポレオンに対する執念は単純極まりないという、なんとも評しがたい、いやまさにめんどくせえやつが似合うわあ。
野田さんとの場面が最も多かったと思われる耕史君。最大の試練は膨大な台詞ではなく、野田さんの笑いへの誘惑とアドリブ攻勢。よく耐えてたねえ。耐えきれてないとこもあったけど(笑)。ああ、アドリブと言えば、あのレモネードのとこですっころんだのはリアルですか?それとも対野田アドリブですか?。野田ナポレオンが手で目を覆って「見なかったことにするっ(笑)」って言ってたからリアルすべりかな。対野田アドリブだったら綺麗に返されてたから、軍配は野田さーん。
モントロンがあの手この手を尽くしても指の隙間からすり抜けていく砂のようなナポレオン。その図式は片恋。他の凡人たちも趣は違えど片思いですよ。ロウの屈折もね。一番ハマってしまったのはモントロンでしょうね。叶わぬ恋の似合う男、山本耕史は健在です(爆)。
野田さんとの相性はどうなんだろうと思ってたけど、三谷ワールドの中では無問題ですね。一瞬のユニゾンにぞくりとしました。歌舞伎の渡り台詞みたいなのを二人で聴いてみたいなあ。抽象的で観念的な野田作品の中の耕史君は全く想像できないやね。でも名台詞が多々生み出される野田さんの戯曲は魅力的。
「いいの。好きなものは、呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」 (『贋作 桜の森の満開の下』)
こんな感じの。女の台詞ですけども。おまけに元は坂口安吾だ(汗)。ま、いいや。
オペモツに続き、今回も演劇でいうところのコスチュームプレイ。耕史君以外の出演者も、映像舞台問わず、西洋の時代劇と日本の時代劇と現代を鮮やかに行き来できるひとたちばっかだけど、耕史君はそれが最も顕著です。ぐっさんとじゃれあってる目だぬきぽわぽわ青年のいったいどこに、サリエリとかモントロンとかマリウスとか典膳とか頼長とか半兵衛とか磐音とかが入ってるのか(笑)。
コスチュームプレイと言えばわたくし制服フェチでありますが、念願の西洋の軍服なのにオスカル的(爆)耕史君なのに萌え度が低うございました。そりゃすっごく似合ってるよ。二次元でもやってけるよ。オスカルの横にいても違和感ないよ。でも萌えたのはおっさんジゴロ。ナポレオンに仕え遺産をぶんどりあっちゅう間に使い果たし落ちぶれて女に食わせてもらってるってなんて素敵。あの衣裳のやさぐれ感がどストライクです。堕ちていく男シチュに萌え萌えです。でも堕ちきってないというね。薄笑いの唇の端にまだ何か残ってる感ね。
てなわけで、感想としてはこれくらいでしょうか。重要な部分のネタバレはしてないと思うけど(してたらごめん)、まだ観てない人でも、冒頭に書いたようにアオリ文句でオチはだいたいわかってるでしょ(苦笑)。
贅沢な舞台でしたねー。アンチがやたらめったら多い人気劇作家・三谷幸喜と天才・野田秀樹と演劇エリート・内野聖陽今井朋彦天海祐希と子役からたたき上げの山本耕史浅利陽介のコンビネーションプレイ。脚本としてはちょっと仕掛けが甘いなと思いつつ、作品全体の雰囲気やバランスは良かったかと。謎解きは二の次、技術的なスペック云々なんぞ超越してるとこで繰り広げられる、役者の丁々発止を堪能する作品だと思います。
ナマ舞台はこれ1回のみ。ライブビューイングは行くかも。


余話1。パンフの三谷さんと野田さんの対談で、勘三郎さんの話が少し。勘三郎さんの団七かあ。わかる気がする。
余話2。ジゴロというと『真夜中のカウボーイ』とか『危険がいっぱい』とか『アメリカン・ジゴロ』とか『ジャスト・ア・ジゴロ』とか、洋画しか浮かんでこないなあと思ってたら灯台下暗し。日本にも結構なのがありましたよ。三島由紀夫の『肉体の学校』。映画も中々の出来だけど、やっぱ三島の文章の勝ち。これ耕史君どうすか?。

*1:先週、テレビつけっぱなしで流れで観たら結構面白かった。

*2:2000年の『カノン』のオーディションの時らしい。

*3:東日本大震災直後。