NHKBSプレミアム 『軍師官兵衛』#46 “家康動く” 18:00〜18:45

録画済。


利家(横内正)出てきた!!!と思ったらお亡くなりに。まあ時期を考えればそうなんだけれども。
前田従二位権大納言利家に合掌。
秀吉身内の秀長や秀次、秀吉盟友利家といったひとびとの物語を細やかに描いてたら、官兵衛(岡田准一)の影が薄くなるから、前述3名が超VIPでも、端折りまくったんでしょうけど、それにしては官兵衛にチョクで関係してるひとびとも端折ってるから疑問符。今日いきなり登場の(今に始まったことじゃないが)生駒親正(酒向芳)だってもうちょい前に出してみたら、官兵衛が築城の名手で、そこから戦上手の軍師らしいエピひとつ作れたのにねえ。
細川忠興、一緒に来た意味ないわー。そしてなんだかイメージ違う。いや小説にせよ映像にせよふくよかな感じがなかったもんで(爆)。

野戦派と家康のあいだを取りもったのは、如水の子の黒田長政である。長政は気象が勇猛で典型的な野戦攻城の将であり、その上友情にあつい性格で、朝鮮の戦野で労苦をともにした諸将との仲がよかった。長政は三成をはげしく憎んでいた。この憎悪の共通感情が復員した諸将を結束させていた。長政はこの結束の取りもちであり、さらには野戦派をまとめて家康の庇護をもとめるという工作をした。
慶長五年九月におこる関ヶ原の戦いは、内実からいえば豊臣家両派の諸将のあらそいであり、家康はその一方に乗ることによって自然の勝利を得たともいえる。その意味では、家康側の−というより徳川政権の樹立−という側からいえば黒田長政の功績ははかり知れぬほど大きい。もし関ヶ原前夜に黒田長政という、鉄色の顔色と一見農夫のような朴訥さをもった策士が存在しなかったら、反石田三成党があれほど強く政党として結束することもなかったであろうし、その反石田三成党があれほどあざやかに家康党として転化されてゆくということもなかったであろう。
長政という、およそ非策士的な男にこれをさせたのは、如水である。
「徳川内府に天下をとらせよ」
と、如水は、文書としては残さなかったが、たしかに指示し、計もあたえたに相違ない。
しかし如水のおかしさは、かれ自身は家康に応援しなかったことである。長政に骨身を砕くほどにそれをやらせて、如水は知らぬ顔でいた。
(長政はその程度の男だ)
前後の関係からみて、如水は薄ら笑いをしつつ長政の将来のためにそう図ってやったが、おれはおれだというところがあったのであろう。

司馬遼太郎播磨灘物語』下(講談社)“如水”より抜粋

「わしは我が道をいく」というのは『播磨灘物語』に通じるところがありますが、この大河では、官兵衛の思惑とは関係ないとこで長政=黒田家が家康にハマって、家康の手のひらでころころころころ。実際、長政は長じてからはできる子になったので、その辺ちゃんと描いてあげてほしいわ。