NHKBSプレミアム 『薄桜記』#11終 “雪の墓” 20:00〜20:45

録画済。


上野介(長塚京三)が書見台の上で閉じた書物は『花傳書』、いわゆる世阿弥の『風姿花伝*1。何か含みがありましょうか。

いづれを誠にせんや。時に用ゆるをもて、花と知るべし。
(要約:どれが誠の花であると決めてしまうべきものではない。時の用に足りるものが花であると理解すべきである。)

世阿弥風姿花伝』(岩波文庫)より抜粋

物事の良し悪しは、その時に有用なものを良しとし、無益なものを悪しとする、といういささか無機質な表現の解釈もありますが。
無益とは………意味のない死のことか。主のない典膳(山本耕史)は誰のために死ぬるのか?。花を咲かせず、掴めもせぬ武士に残されたものは己の心。その心を主とし殉じるしかないのかもしれません。そうして安兵衛(高橋和也)に斬られた典膳。互いに助けたいと思い最後の生きる道を探すも、それが叶わぬとなればやはり互いに死出の花道をつくる。典膳を斬った安兵衛は未練なく吉良邸へ奔る。
武士に限らずひとが何かに殉じる時、親も子もなく天も地もなくたったひとつの意志だけがあるのだと思います。“何か”はもしかしたら彼の意志を知らず、知っていても彼の意志を求めていないかもしれない。ならばそこにある意志は究極の身勝手。
以前、『最後の忠臣蔵』記事で、“武士ほど身勝手な存在はない”と書きました。遺された者が、その勝手に殉じるか否かも勝手。千春(柴本幸)は迷うことなく典膳とともに行くことを選びました。典膳は千春の死を望んでいなかったでしょうが、この時のために彼女は今まで生きてきたのです。
「あなたはひとりで行ってしまわれました。ならば千春も勝手をいたします。でもお許しくださいますよね……」*2
二人の死が、世間に広まることなく、知るべき人々にひっそりと静かに伝わりますように。

*1:花伝書風姿花伝じゃねーんだよ、という細かい定義は、ちょっと横に置かせていただきます。

*2:私の創作です。