NHKBSプレミアム 『軍師官兵衛』#11 “命がけの宴” 18:00〜18:45

録画済。


宴の最後の方で、閑吟集の小歌が歌われてましたね。

何せうぞ 燻んで 一期は夢よ ただ狂へ

『日本古典文学全集 神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集』(小学館)“閑吟集”p404

宴の場に官兵衛(岡田准一)がいたかどうかは知りませんが(爆)、信長×秀吉ではてっぱんのどんちゃん騒ぎ。

この時期の信長は、手持ちの兵力をあちこちにやることによって多方面の作戦をなんとか凌いでいる。(中略)秀吉にいたっては、播州ということになっていながら、現地に足を踏み入れたこともない。信長は手毬でもころがすようにかれとその軍隊をあちこちへ追い使っているのである。
(中略)
かれは天正五年の晩夏に、柴田勝家を応援せよと命ぜられてはるばる加賀へゆき、勝家の傲慢さに腹をたてて近江の居城へひきあげてしまったのも、かつての秀吉から想像できる行動ではない。秀吉は疲れてもいたろうし、なにかふと自分のひたむきな勤勉さが愚かしく思えるような年齢にもなっていた。
(主に殺されるならそれまでのことだ)
と、ふてくされた感情もあったであろう。信長がこういう自儘をゆるす大将でないことを、誰よりも秀吉はよく知っていた。ただ信長その人に謀反の心がないということを示すため、近江長浜城を無防備にし、毎日、能狂言や酒宴に興じて馬鹿騒ぎをやってみせた。信長は秀吉の狂態をみて、安堵した。
そのあと、秀吉はまた大和の戦場へかり出される。これも他人の受持の戦場で、秀吉は相変わらず面白くはなかったにちがいない。
こういう秀吉の日常のなかで、播州の官兵衛の手紙というのは、かれを十分に慰めるものであった。官兵衛は、播州の内外の情勢をしきりに報らせてくる。
秀吉にとっては、自分が情熱を注ぐべき受持はまだ見ぬ播州しかない。気がかりになりつつも、それに手をつけることが出来ずにいるとき、官兵衛が代りになって現地で耳目を動かしてくれているのである。いわば秀吉自身が播州にいるようなものであり、ときにそれ以上に、官兵衛の分析や示唆は明晰であった。
(官兵衛というのは、なんとありがたい男か)
と、秀吉は、戦場を転々としつつ、そのつど後方から追っかけるようにしてやってくる官兵衛の手紙を、自分の分身でもそこにいるような感情をこめて読んだに違いない。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“野装束”より抜粋

某ブロガーさんが、“人たらしの秀吉だから「お前のこと弟だと思ってるよーん」くらいの軽口はいつだって叩くわ」と書かれてました(苦笑)。秀吉にとっての“弟”ってのは本当に大切な存在なんですよ。今更書くことでもないけども、秀吉にとってたったひとりの男の肉親で人柄よく有能で頼りになる側近、小一郎。後の大和大納言秀長。他の大名や武将と違って、信頼できる家来がいない秀吉には唯一無二の存在。その弟と同然に思うと言う。もちろん自分の利を、織田家の利を考えた上での言葉でしょうけど、“弟”を引き合いに出すことで秀吉の思いの強さが伝わってきます。ただし、この頃は、とひとこと断っておいたほうがいいかな(爆)。あと、秀吉(竹中直人)主役ではないので、小一郎(嘉島典俊)のボリュームが極端に少ないから“弟”の存在にピンときてないひとが多いのかとも思ったり。
http://www.rekishijin.jp/kurodakanbei/sudou/%E7%AC%AC3%E5%9B%9E-%E3%80%8C%E5%B0%8F%E4%B8%80%E9%83%8E%E5%90%8C%E7%84%B6%E3%80%8D%E3%81%A8%E8%A8%98%E3%81%97%E3%81%9F%E5%AE%98%E5%85%B5%E8%A1%9B%E3%81%AB%E5%AE%9B%E3%81%A6%E3%81%9F%E7%A7%80%E5%90%89/
そして、a boy meets a boy(莫迦)。高山右近生田斗真)登場でございます。
二人がいつ頃出会ったのかは不明。司馬さんは太河より早く、官兵衛が村重を花隈城へ訪ねた時に二人を会わせてます。おまけにその時には、官兵衛は既にキリシタン(爆)。永禄八年(1565)頃らしい。実際の官兵衛入信時期は、①ルイス・フロイスの『日本史』によれば、天正十一年(1583年)〜天正十二年(1584年)頃、②高山右近に感化されて、天正七年(1579年)頃の、2つが主な説らしいです。

この若い播州土豪の子が、京へのぼろうとおもった理由の大きな部分は、かれの想像を越える世界が、堺や京にまできているということなのである。
キリシタンのことであった。
官兵衛はかねてより、キリシタンのことをしばしば耳にし、そのうわさを耳を鋭ぐようにして聴く傾きがあった。
「いままでの日本は狭かった。ひろい世界が日本にやってきている」
というのが官兵衛の感想だが、このように整理してしまえば、官兵衛の実感からほど遠い。
―それそのものが世界なのだ。
という直感が感動を生み、キリシタンの信仰と思想、あるいは思想像の装飾としての異国の神の名、異国の言葉、望遠鏡や絨製の衣服、ひとびとの目をおどろかした僧侶たちの異相、僧侶たちが自分に課している厳格な戒律と敬虔さとそして他人へのやさしさ、さらにいえばかれらが万里の波濤を冒してやってきた勇敢さといったようなもののすべてが官兵衛の心をとらえていた。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“彩雲”より抜粋

官兵衛が妻も娶っていない二十歳頃の記述。
太河では官兵衛のキリシタンへの想いは、全くと言っていいほど描かれてませんが*1高山右近と出会ってから展開した方がわかりやすいんでしょうね。

右近は自立心のつよい男なのであろう。村重の家来ではないことを、不必要なまでに強調するふうであった。
「では、あなたの主は?」
「神(でうす)でござる」
右近は、即座にいった。
(こういう男を、はじめてみた)
と、官兵衛は、おどろきを覚えた。右近は神と自分のあいだに介在する者はいない、と思いつめているようであり、さらにいえば、神を信じるがゆえに自分が存在する、自分の重さはそれゆえに何者にもまして重い、と思っているのであろう。
(時代は変わった。あたらしい人間が出てきたのだ)
官兵衛は生まれて三十年、播州の田舎にくすぶり続けていたことをこのときほど後悔したことはない。個人というものがどういうものであるかを、右近は知ってしまっているようなのである。
官兵衛は、かさねて聞いた。
「地上の主は?」
「織田どのでござる」
右近は、いった。村重とはいわず、織田どのが主だといったのは、あるいは織田どのがキリシタンの外護者であるからなのか。官兵衛はそこまで踏み込んで問い重ねるのは遠慮したが、ともかくも、右近によってあたらしい人間の出現を知ったし、さらに信長が時代のひとびとの心を捉えている別の面をみた思いもした。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“白南風”より抜粋

にしても、斗真君の高山右近素敵だわー♡♡♡。そら、だし(桐谷美玲)も入っちゃうよ*2。入らなきゃ女じゃないよ(爆)。
陣内孝則宇喜多直家もいい味出てます。『太平記』の佐々木道誉をちょっと思い出しました。

*1:でうすの意味、わかったんかいな(苦笑)。密かに勉強してたとか設定?。

*2:だしがキリシタンという設定はオリジナルだと思いますが、後々の一族皆殺しのところで“死に動じない”というところを強調するためか。