NHKBSプレミアム 『軍師官兵衛』#9 “官兵衛試される” 18:00〜18:45

録画済。


自分の信仰のために主家を辞するというエピは、『播磨灘物語』にも違った形で出てきてました。こっちは引用するほどのことではないのでスルーしますけど、とにかく信長は寺社勢力との抗争に手を焼きまくっておりまして、そのほぼ最終形が叡山焼き討ち。当時の寺社勢力=武装勢力で、その辺の大名となんら変わりないんですよね。そら邪魔な大名はぶっつぶしますって。だいたいが叡山なんぞ信長以前に足利義教にも細川政元にも焼かれてるんでね。
上洛に煮え切らない藤兵衛(片岡鶴太郎)を決心させるために、半兵衛(谷原章介)の口添えで村重(田中哲司)投入というのは、巧い創作だと思います。半兵衛も悪いやっちゃなあー(誉めている)。官兵衛(岡田准一)を試す、というより信長や秀吉のためですよ実際(爆)。でもまあこれで官兵衛の採用試験合格。おめでとうござりまする。
別所や赤松に対する説得は別に要らんかったと、司馬さんは書いてます(苦笑)。

いずれにせよ、官兵衛は別所氏と赤松氏を歴訪し、
「わが主とともに上洛してくださらぬか」
と、説いてまわった。
もっとも説くまでもない。別所氏も赤松氏も。毛利に一脈通じていながら、織田氏の機嫌をとっておきたいという気分があり、結局、そろって上洛ということになった。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“信長”より抜粋

今回よくあそこまで引き延ばしたな。
で、信長拝謁もだいたいあんな感じかと。

かれら播州の三人の大名は、十月二十日に信長に拝謁した。
信長の祐筆の大田牛一が書いた日記ふうの『信長公記』には、京におけるこの前後の毎日のにぎわいに多くの筆を割いているわりには、このくだりは、ひどくそっけない。
播州の赤松、小寺、別所、其の外、国衆参洛候て、御礼これあり」
と、書かれているだけである。
十九日の奥州伊達氏からの使者についての記述のにぎやかさや、二十三日に上洛した飛騨の国司姉小路氏が栗毛の駿馬を信長に贈ったというような記述にくらべて、まったく生彩がない。
「御礼これあり」
と、祐筆が書いているように、多少の音物は信長に贈りはした。しかし信長の好む馬とか茶器とか唐物といったようなものではなく、祐筆が記録するにも値いしないものを三軒の大名が贈った。
官兵衛は、この点さびしかった。かれはさきに岐阜へ使いし、信長に拝謁したとき、信長にひどく気に入られて、太刀を一口もらった。
(中略)
(せめて、よき音物でも用意してくればよかったのだが)
と、官兵衛はおもったが、自分の主人に言えることではなかった。
ともあれ、播州の大名たちの拝謁は、ひどくさびしく、また田舎くさいものになった。
小寺藤兵衛は歳をとっているだけで、信長の人間への好奇心を満足させるような器量はなく、別所長治は若くて美男というだけであり、赤松広秀にいたっては見るからに愚人であった。
この拝謁の席には、官兵衛ら三家の家老たちははるか後ろで平伏していた。
あとで藤兵衛が宿所にもどり、
「やれやれ、拝謁など退屈なものであったよ」
と、官兵衛にこぼしたが、官兵衛にすれば退屈がったのは信長のほうではないかと思ったりした。

司馬遼太郎播磨灘物語』上(講談社)“信長”より抜粋

次回、500対5,000!。勝敗や如何に!ってわかってるんだけどさ(爆)。
「一文字に三つ星……毛利でございます!」
この“一文字に三つ星”を入れると入れないとでは格段の違いの台詞。盛り上がるぜ!。