NHKBSプレミアム 『真田丸』#40 “幸村” 18:00〜18:45

録画済。


空っぽの御文庫。
大きくなった桃の木。
時の移ろいは一定なり。
もう誰かが顧みることはないんだろうか。

でもあなたは行きたいと思っている。だったら行くしかないでしょう。あなたに来てほしいと思っている人がいるんでしょう。助けを求めている人たちがいるんでしょう。
真田安房守昌幸。徳川と2度戦って2度勝った男。あなたにはその血が流れている。真田源次郎安房守の息子。戦上手に決まってる。この人に従っておけば間違いない。誰も疑わないわほとんど戦に出た事がないなんて。あとははったりよ。
ここで一生を終えたいの?。それでいいの?。あなたは何のために生まれてきたの?。
あなたの幸せなんて聞いてない。そんなの関わりない。大事なのは誰かがあなたを求めているという事。
今まで何をしてきたの?。小県にいる頃は父親に振り回されて大坂に来てからは太閤殿下に振り回されて。
何を残したの?。真田源次郎がこの世に生きたという証しを何か一つでも残してきた?。聚楽第の落書きの科人とうとう見つからなかったよね。沼田を巡って談判はしたけど最後は北条に取られちゃった。氏政様を説き伏せに小田原城に忍び込んだみたいだけど、氏政様がお城を明け渡したのはあなたの力ではないですから。後から会いに行った何とか官兵衛様のお手柄ですから。
何もしてないじゃない。何の役にも立ってない。誰のためにもなってない。
私が大好きだった源次郎様はどこへ行ったの?。がむしゃらで向こう見ずでやんちゃで賢くて明るくて度胸があってきらきらしていた真田家の次男坊はどこへ行ったのよ!。私が胸を焦がして大坂までついていった、あの時の源次郎様は…。

きりちゃん(長澤まさみ)は成長してるけど、基本的なとこは変わってないんだよね。言いたいこと遠慮なく言ってきて、源次郎(堺雅人)を応援してきて手助けしてきて。でも源次郎はきりちゃんに寄り添うどころかそっぽ向いてた。
「だが自分で問いかけるよりもお前に言ってもらう方がよほど心にしみた。礼を言う」
やっとか。

https://twitter.com/saranowwatching/status/785049638621413376
きりちゃんの問いは視聴者からのメタ的な問いでもあるよなあ…ここでこういう展開なのか…すげえ… #真田丸

しかし「何とか官兵衛様」て。大河史上、いや時代劇史上、何とか官兵衛って言われた黒田官兵衛もおるまいて(笑)。当時のきりちゃん情報としてはこれが限界だったんだよ。でもガラシャ(橋本マナミ)の近くにいたから、切支丹の明石掃部小林顕作)を知っててもおかしくない。


この後のオールスターキャスト。
ただの回想ではない。全てが源次郎の血肉になっている。

https://twitter.com/kanadorama/status/785059126468448257
#真田丸 早丸より!人が人生を賭けて大事を成す時、それは突然そうなるのではなく数限りないスイッチの結果なんだよね。当り前ですよ、でもその当り前をこれだけ愛情込めて見せてくれる作品に出会えて感謝しかない。そして今作もまた沢山の人の記憶に残り、小さな人生のスイッチになるんだろうなぁ。

秀吉(小日向文世)の呼び鈴。九度山に来てから源次郎の耳にはずっとあの音が聞こえていたのかもしれません。
前回の最後に“彼岸から此岸へ”と書きました。
此岸の大坂城で鳴る呼び鈴。源次郎のいるところは世俗からすればすでに彼岸。

https://twitter.com/butakakunida/status/785287113633730560
#真田丸 「何も成してこなかった主人公が、最後にひと花咲かせる」って言うのは簡単だけど、その動機付けに9ヶ月間何も成さない主人公を描き続けてしかもそれが面白い、ってすごく大変なことですよ。

大仏開眼供養から鐘銘事件、且元(小林隆)の進退に至るまでは、司馬さんの『城塞』に上下二段組で100ページに渡って描かれてるので割愛。約50年前の小説ですから、且元や鐘銘事件についてはほぼ定番です。徳川側は、丸島先生のツイにあるように正純、崇伝はもちろん、天海、林道春(羅山)入り乱れてそらもう大変。豊臣側は大野治長が頑張るけど、織田常真入道(織田信雄*1)が逐電して板倉勝重のとこへ逃げちゃうし。
この大河の且元が源次郎に語ったあれこれ。あんなにも巧いこと裏目裏目に出るかよ盛ってんじゃねえよ、と思われるかもしれませんが、且元自身の仕様や思いは違えど、史実とされる事柄とさほど乖離はない。ていうかもっと細かく描いたら更に目も当てられない。

「片桐退去」
という大坂の変報は、つぎつぎに駿府の家康のもとにつたわった。京都所司代板倉勝重の注進がもっとも早かった。
−すわ、いくさぞ。
と、駿府のひとびとがどよめいたのも当然であったろう。
片桐退去というのは単なる退去ではなく、豊臣家内部にクーデターがおこり、和平派が追いだされ、主戦派が政権を牛耳ったとみていいのである。

司馬遼太郎『城塞』(新潮社)“人情”より抜粋

要するに家康の諜者であったことを、この段階においてみずから知った。みずから知ったというのは奇妙であろう。しかし人間というのは自分が目下なにをやっているかということについてのその動機、もしくは理由、あるいは目的意識などといったもっとも重大であるべきすじが自分でもわからずにやっていることが多く、じつはその事態がおわってから自分ではっとして気づいたりする。且元は、そうであったにちがいない。
(−わしはじつは諜者であった)
と、ひそかに自分で驚いたが、弟の貞隆はこの点、感情が乾いていた。

司馬遼太郎『城塞』(新潮社)“東風”より抜粋

且元の不幸は、彼が豊臣家の進退を左右する重要人物になっていたことに気付かなかったことだよね。そしてもちろん大坂城のひとびとも気付いていなかった。

https://twitter.com/kyuuta/status/785143341415489536
ところで作中で無能を連呼された片桐且元。確か古代中国あたりの兵法で闘わず敵を倒す方法として「敵から使者が来た場合、有能なものならば冷遇し無能なものならば優遇すべし。そうすれば無能なものがその国で重用せれいずれ自滅する」と。徳川は「有能」は片桐様「無能」は大蔵卿で実践。 #真田丸


「やり直しますか?」
「いや。面白い。真田左衛門佐幸村。よい名だ」
この時の大助(浦上晟周)の笑顔、良かったな。

https://twitter.com/tokyokodaira/status/785171521597640704
#真田丸 「名前を割って逆さにするのは呪い返し」ていう方広寺の話が、幸村命名時にもかかってきてるていう脚本はやべーな。

ちょっとこれ鳥肌。

https://twitter.com/hekireki_sorami/status/785094276099125248
きりちゃんは信繁の子を産まない代わりに真田幸村を産んだんやな… #真田丸

顧みるひといたわ。

https://twitter.com/raizou5th/status/785156097015296000
石田三成が掛けていた双幅の鯉魚の掛軸。今は家康の屋敷にかけられている。「死者をともらうのが生者の務め」という家康が、今まで敗者を取り込むことで力を付けてきたことを考えると、この絵も感慨深い。三成が関ヶ原直前に掛けていたこの絵を、家康が決戦前に掛けるニクい演出。 #真田丸
 

*1:織田信長次男/幼名:茶筅