NHKBSプレミアム 『軍師官兵衛』#23 “半兵衛の遺言” 18:00〜18:45

録画済。


だし(桐谷美玲)に合掌。
出自もよくわからず、村重の正室なのか継室なのかも不明、名前も不明、クリスチャンだったかも、じゃなかったかも、辞世の句たくさん残しすぎ……と何から何まで???なだしですが、それでも歴史の片隅に存在できたのは、ひとえにすっごい美人だったからですな(爆)。
一族郎党皆殺しなんで信長ひっどーいなんてたわ言ぶっこくどあほうどももいることでしょうが、信長には徹頭徹尾微塵も揺るがない、今風に言うとブレない信条があるわけです。だいたいが村重近辺に謀反の気が漂った時、わざわざ光秀以下3人の使者を遣わして、村重の言い分を聞いて不満があればなんとかするからとにかくなだめよ、てな感じで1回は許してるんですよ。摂津一国37万石に寝返られるかもしれないとなったら、さすがの信長もそりゃ低姿勢になりますって。

信長は、自分自身の攻略においては、勝つために何を仕出かすかわからないところがあったが、余人とくに自分の家臣団に対して侍ぶりを要求するところがじつに過度であった。
(中略)
心映えと行動において、
「きたなし」
ということを憎む心であった。個人の行動や進退、もしくは生死において、きれいであることをほとんど唯一無二の倫理感覚としている。たとえ主人に刃向ってもその進退がきれいであればむしろ賞讃されることもありえた。
信長が村重を激しく憎んだのは、謀反についてはもとよりのことだが、村重への憎悪を狂おしくしてしまったのは、村重のきたなさであった。村重は一命をたすかりたさに、家来や妻子を置き捨ててしまった。さらに村重だけでなく、村重臣である荒木久左衛門以下も、同様のことをした。
(中略)
信長にすれば、この倫理的事態になまぬるく対応しては世の中がどうなるかわからないという支配者らしい感覚も、激しい憎悪とともに当然持ったであろう。かれは村重とその党類のきたなさに対し、類例のない報復手段をもって世間の見せしめにしようとした。

司馬遼太郎播磨灘物語』中(講談社)“村重の落去”より抜粋

「殿の脚が戻らぬなら、わしらが生涯をかけ、殿の脚になればよい」by九郎右衛門(高橋一生
一歩間違えば村重になっていたかもしれない官兵衛。それを救ったのは父と黒田家家臣団。そして己の信念。近年、実はもっとマシな環境の牢にいたとかいう説が出てきてますけども、そんなんどうでもいいやん。官兵衛は裏切らなかった、その事実は確かなんだから。