NHK総合 『突撃 アッとホーム』 坂本龍馬 最後の手紙!? まさかの大発見しましたSP 20:00〜20:45

録画済。

世紀の大発見「坂本龍馬 最後の手紙」。見つけたのは、お笑い芸人のバイきんぐ。アッとホームの企画「ファミリー・トレジャー・ハンター」で、ある女性と運命の出会いをしたことが、きっかけだった!!!。今夜は、アッとホームしか知らない、「龍馬の手紙」発見までの一部始終を大公開。専門家もうならせた手紙内容の判読から、驚きの鑑定結果まで、終わりまで目を離せない展開。歴史好きも、そうでない人も必見です。

NHK 番組HPより

http://www.nhk.or.jp/athome/onair/20140412.html
これだからバラエティは侮れん。鑑定団とかもそうだけど、市井に眠るお宝は底が知れない。
手紙に出てくる三岡八郎については『竜馬がゆく』ではこんな感じ。

午前八時前、山町に入り、やがて煙草屋*1の前まできたとき、三岡はたまりかねて、
「竜馬あっ」
と、二階へ叫びあげた。ひびきに応ずるように竜馬は二階から顔を出し、
「やあ三岡か、話すことが山ほどあるぞ」
と、どなりおろした。
三岡は明治後由利公正と名をあらため、諸官を歴任して子爵になり、明治四十二年、八十で没したが、生涯このときの感動を繰り返して語った。
(中略)
岡八郎というのは、ふしぎな頭脳のもちぬしだった。国家経済をまるで掌をさすように論ずるかともうと、へっついの発明をしたりする。
門中、退屈なあまりにこの新案をおもいつき、作りあげた。従来のへっついよりはるかに燃料が節約でき、しかも火力が強い。この男の発明したへっついは、昭和十年まで「三岡へっつい」とよばれて福井県下で用いられていた。
この男が竜馬に、新政府財政の基本的な考え方はこうあるべきだと説き、その財政技術のひとつとして金札の発行を説いた。
兌換紙幣のことである。新政府にはまだ信用がないため京大坂の富豪を説き、かれらに発行の勧進元をさせ、その信用と財力を借りれば一千万両ぐらいの金はたちどころに出来あがるだろうと三岡はいうのである。
「それは天子様に御威光がなければどうにもならぬ。かの御一人こそ日本国の主だということを天下万民にしらせる工夫をする必要がある」
その後の三岡八郎は、これらの言葉どおりの活躍をした。鳥羽伏見の砲煙がおさまるや、三岡は大坂にのりこみ、鴻池善右衛門以下十五人の富豪をあつめ、かれらを新政府の会計方御用係に任命し、さらには大坂のおもだった町人六百五十人をあつめ、御用金調達を命じた。
この新政府借入金は、旧幕時代の御用金召しあげとはちがい、あとで返却することになっていたし、利子もつけた。醵出した金額に応じて太政官札もあたえた。人心はこのために安定し、この太政官札発行のおかげで、無から発足した新政府に基金もでき、その基金が東征の軍資金にもなった。
それらはすべて、この煙草屋の二階でまとまったといっていい。

司馬遼太郎竜馬がゆく』5巻“回天篇”(文藝春秋)より抜粋

三岡と龍馬については、龍馬の写真のことの方が有名かな。

妙な話がある。
竜馬が福井を発ってから十日あまり経ったころ、三岡は藩の家老岡部豊後にまねかれた。
(中略)
帰路、夜がふけてしまっている。
(中略)
若党は背をかがめて袖で提灯の灯をかばいながら、「風でございますよ」といった。なるほど天に風が鳴りはじめている。しかしこの晴夜に奇妙というほかない。沖天に十五夜の月がかかり、雲もないのである。
「風ということはあるまい」
「いいえ、風でございますよ」
若党はつぶやき、懸命に提灯をかばっている。なるほどその様子をみれば風であろう。その直後、三岡は風のなかにいた。一瞬の突風が土手を襲い、三岡の髪、袂、袴をひるがえし、若党のもつ提灯を消した。三岡は突風に堪えようとしてつまさきに力を入れた。草履の緒が切れ、土手ぎわによろめいた。
風は、去った。
去ってみると、うそのような静かさで月が天心にある。しかし三岡の体にえたいの知れぬ戦慄だけが残った。そのつぎの瞬間、三岡は叫んだ。
「提灯をつけろ」
「どうなされたのでござります」
「懐中の物を落とした」
すべてが、なかった。紙入れも。あれほど大切にしていた竜馬の写真もない。そのあと一時間ばかり、三岡は土手のあちこちをさがしまわったが、ついになかった。
三岡は、帰宅した。
それから二日後、竜馬が中岡慎太郎とともに京の宿で死んだ旨の報が、三岡のもとに入った。あの夜、ほぼ同時刻に、竜馬の霊は天に駆け昇ったのである。

司馬遼太郎竜馬がゆく』5巻“回天篇”(文藝春秋)より抜粋

*1:龍馬の福井城下での宿。